■どこからどこまでがイチゴパフェか
あるラジオを聴いていたら
「どこからどこまでがイチゴパフェか?」
みたいな話。
はっきりとした線引きはあるのかな?
イチゴは何個以上とか?
必須条件って何?
そもそもそういうのがあるのかないのか?
あるとすれば、誰がそれを判定するのかな?
そこで私が思ったのは
(世の中、本当は曖昧でそう簡単に、線引きできることでできていないんだよなあ)
ってこと。
曖昧なままでいるのは、なかなか不安なのも事実。
はっきりしていたほうが安心なことも多い。
だから、ある面、線引きが必要になることもある。
そうしてだんだん、その線引きされた中で、
(なんか苦しいかも)
って感じることが出てきたりする。
そういう時に、ちょっとそこを乗り越えて、
「ねえねえ…」
とコミュニケーションを再開する余地がある、そういう余地を残しておく、そういう乗り越え方ができる人を一定数抱えておく、増やしていくといいな。
ある種の「線引き」もしながら同時に壊してもいく。線はあるけど
「今はそれはなしでもいいよね」
「そうだね」
「じゃあ、今回の場合はこうしようか」
的な、緩さもあっていいかな。
その都度、適宜、線を引き直す、というかつくりなおすというか。
その繰り返し。
そうか、一緒に「つくる」場面、機会があることだな。
曖昧さをある程度抱えていられること。
「ねえねえ…」とコミュニケーション再会できる、ちょっとした勇気があること。
そこから「じゃあ、一緒に考えよう、つくろう」が始まること。
喫茶店の、隣の席のおじさんたちのおしゃべりの声がでかすぎて、なんか集中できない…。
「ねえねえ…」
とは言えなかった、私もおじさんである、はは。