「理解は誤解だ」
「理解は誤解だ」はなるほど、そうかもと思う。
完全に理解する、全てを理解する、なんていうことはたぶんできない。
自分のことは自分が一番理解しているか?というと、そういうことでもなく。
自分の事が一番分からない、なんて言うことはよく聞く言葉でもある。
他者との関係もまさにそう。
できるところは、「理解したことにする」なんだろうな。
結局は曖昧のまま。実はそういうことなんだな。
「曖昧なものは曖昧のままでいい」
それでいい、曖昧なものを曖昧と分かったままで、曖昧にしておけることが、実は安心感だったりするのかもしれない。いつでも修正がきく、ということでもある。
物事をはっきりさせないと、白黒付けないと、ちゃんと説明責任を果たさないと、そう「思ってしまう」それは全部「不安」の裏返しなんだろう。「理解したことにする」ができない状態。自分が安心できるところまで着地点を持っていきたいという気持ちの表れ。でも、その気持ちの状態こそが「不安」なんだから、はじめに自分が求めていた着地点にたどり着いたとしても、きっと次の不安がそこには待っている、そんな感じ。
そんな話を、お隣のスクールカウンセラーさんと話しながら、
「“まあ、いっかー”って実は深いよね~」
「“まあ、いいか~、どんどん使いましょう!」
なんて笑い合っていたのでした。