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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

遊び、みたいなもん

何かのために何かをする…。
確かにそういうことってたくさんあるんだけど。

 目的とか目標をもって、そこに向かって何かをする。とってもいい感じだし、「学校的」には、「目標をもってがんばっている」そんな感じになるんだと思う。


 でもな~、最近ちょっと思ってるんだけど、
「ぼんやりした、こんなことしたいな~」
「こうだといいんだけどな~」
をゆる~くもったまま、むしろ、そんなことも自覚していなくてもいいから、とにかく気になることや面白そうなことをとりあえず直感的にやってみておく。
 首を突っ込んで置いたり、考えておいたり、妄想だけでもわかせておいたり…そんなことでいいから。それって結構いいんじゃないかって思っていて。

 まあ、半分「遊び」みたいなもん。


 そういうの、実は土を豊かにしておくのと実は似ていて、そうしておくと種がぽんって落ちてきたときに、目を出すだけの準備ができていたり、芽をちょっと出していることに気が付いて
(あ、それ種だったわけね!)
って気が付いたりすることにつながって行くんだよなあ…って思うようになっている。
 土づくり?苗床づくり?

 
 そんなときに、ある本で
「人は聞くのであって、探すのではない。人は受け取るのであって、誰がくれるのかと質問はしない。稲妻のように思想はひらめく。」
なんて表現に出会ったりする。


 まさに
(あ、これか、このことか!)
なんて思ったりする。
 大好きな内田樹さんのよくいう「贈与」の考え方にも、根っこは通じているような気もする。


 身の周りの、あんなことやこんなことも実は全部種であり、チャンス。
種であるかどうかを決めるのも、実はこっちの準備次第みたいあなところおもある。


 そういえば、今日の朝、ある方がつぶやいていた
「とりあえず乗ってみる」
という言葉に、ピピッてきたのも、
(あ、そういうことだったかあ…)
なんて気が付いて、ちょっとうれしくなったりする。

 

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