「教室型オールインワン授業に再現しない」
この記事が、参考になった。
何もかも学校が、教師が管理(把握)しようとしないってことだな。
そもそも、それはできないことだし、今までもできていない。
手放す。そもそもできないこと、できなかったことを、ちゃんと「できない」と認めるには結構勇気がいるものだ。
でも、それは放任みたいな「あきらめる」ではなくて、その中で本当の目的に向かってどうしたらいいかもがくこと、これがかなり難しい。どうかすると手段と目的が知らず知らず入れ代わってしまいそうだから。気をつけないとなあ…。
こういうときは、不器用な方がいいな笑。一旦ブレーキを掛けられるから。
さて?
今、できないことは、
①学校に子どもたちが来ること
②教師が、子どもに直接教えられない(指導)こと。
③子ども同士が学び合えないこと
かな。
だから、子どもたちが学べていないんじゃないか?と不安になる。(それ以外にも、生活上の困難さについての心配からくる不安もあるだろうが、ここでは一旦置いておこう。)
お互いのコミュニケーションが分断されているってことでもある。
それは、できる範囲で回復したいところ。その1つのツールが「オンライン」ってことだなあ、と思う。コミュニケーションの回復、穴埋め、ができたらまずはいい。そこから、「課題」を共有すればいいんだな。
学校や教室では主に「課題」(教科だけに限らず生活上のことも含めて)を通して、コミュニケーションを図ることが主。他者や環境とのコミュニケーションを通して、その解決までのプロセスをくぐることが「学び」(遊び、といわれていることも含めて)なんだと思う。
今、やりたいことはコミュニケーションの一定の回復と、この状況下での共同の「学び」を成立させることかな?
「教室型オールインワン授業にしない」、それは、学校は教師が「伴走者」になること。『学び合い』やファシリテーションの考えから多くを学ばせてもらっていた私としては、「伴走は者になる」については、とてもよく分かる。
ここ十何年は、黒板の前に立って、板書しながら教えるような授業形態はとっていなかったら。課題は提示するものの、あとは子どもたちの様子を見ながら考える、必要に応じて何かしたり敢えて何もしないでいてみたり。そんな感じだったから。
ただ、目の前に子どもたちがいない、のが今。あまりにも情報が少ない状況に自分が不安になっているんだな、と分かる。
「伴走者でいる」
ふむ。
この臨時休業中は、その、子どもたちの学んでいる姿が見えないので、普段ならできるコミュニケーションも圧倒的に不足している。入ってくる情報も伝える情報も、以前と比べて圧倒的に少なくなっている。そこが「問題」(あ、課題だ…)なんだな、とあらためて感じる。
私の不安の原因は「見えない」こと、「感じとれない」こと。
だからといって、その不安を解消するために、一方的に情報発信して、落ち着かせようとするのはやっぱりなんか違う…と冷静の考えれば分かる。
(そりゃあ、自分が安心したいだけでしょ?)
って話になるから。
子どもたちに課題を一律に出すのも同じこと。
「見えない」なら、よけい見ようとすればいいんだな…。目をこらして。
「感じ取れない」のなら、感じようとアンテナを伸ばせばいい。
そういうことか。
「見えない」から見えないんじゃないなー。
「感じとれない」から感じないでもない。
それが、『学び合い』でいっていた「もがく」ってことかなあ。
学校、教室という場がなくても、学校や教師が子どもたちや家庭の学びの伴走者であることは変わりがない。学校が再開したとしても、それは同じなんだな。
むしろその役割を際立たるときが今だなあ。まだ模索中、もがき中。
だから、一気に「オンライン」に走る必要も今は、ない。もっと声を聴いてからでいい。
伴走者としては…
①ゴール(課題)の提示
②アセスメント(評価)と適切なサポート
③環境の整備
を考えたいところ。
①については、明確なゴール(何を達成すべきか、そのためのプロセス案)の提示等かな。1週間単位の課題を明示して、プロセスも示していく。子どもたちが自分のペースで自立的に学べるように必要なサポートする。イエナプランの「ブロックアワー」みたいなイメージになるかな。
②が今は大きな課題。コミュニケーションが不足しているから。教師と子ども、子ども同士。今ならここにオンラインの可能性を見出したい。「評価とは『見ていることを伝える事』といった先輩の言葉を思い出す。学習面だけに限らず、その他の面についても「見ているからね」を伝えるなら、手法はオンラインに限らず、いろいろであっていいか。
③については、①と②を安定的に行えるようにすることかな。
学校や教師の不安解消のために、いつの間にか、「あれ、何のためにこれをしていたんだっけ?」
ってならないようにしたい。
ある書物からの言葉がつながる。
「子どもたちのポテンシャルを開花させるために、絶対必要なことっていくつかあるんだけど、1番は『温室』をつくるってことね。外界の雨風から子どもたちを守る。2番目は忍耐力。子どもたちが学びたいという気になるまでじっと待つ。3番目がおせっかいなんだよね。『待つ』というのと『おせっかい』というのは明らかに矛盾するんだけど、重要なあらゆる人間的行為って、結局は矛盾することを同時に進行することでしか実現しないじゃない。」
温室と忍耐力とおせっかい。
この間で揺れるなあ笑。
そういう面では、この状況下
「全ては子どもの笑顔につながるか、つながっているかで判断しよう。」
と職場として確認し合えているのは、うれしい。