■「たくましく生きよ。」
昨年の今頃は、こんなに生活が変わる1年になるとは想像していなかった。
コロナ禍に翻弄された今年。
「たくましく生きよ。」
今年3月、コロナ禍での卒業式。
校長の式辞をメモしていた。
「当たり前にできることの幸せを味わおう。」
「何ができるか、を考えよう。慎重になり過ぎることもなく、その上で目の前の現実をよく見る。そして次に備えよう。」
「それが震災から私たちが学んだ『たくましく生きよ。』だ。」
「そしてみんなが幸せになってほしい。」
震災をまともに経験し、大変なところのど真ん中を歩いてきた校長の言葉には、短くとも説得力がある、と私は感じていた。
「たくましく生きよ。」は
「どのような状況であっても誇りをもち、自分の人生を大切にして、前向きに生き抜くこと」という願い。
これは、震災当時の校長先生が定めた校訓であり、それは今も学校の中心となり引き継がれている。
「たくましく生きよ。」
それは、猛々しいものではない、と私は感じてる。
もっとしなやかで柔軟なもの。
だからこその「つよい」イメージ。
震災直後の多くの教師は
「生きてここで学び合えること、それだけでいい。」
きっとそう感じたはず。
それだけの大きな体験だった。
大きな犠牲もあった。
だからこそ。
その思いは忘れてはいけない。
いつでもここに立ち戻ろう。
そして前に進みたい。
「子どもたちの、にこにこしている顔、みっどやー、元気になっちゃねー」
そう言ってくれる地域の方々も多かった。
私たち被災地の教師は、子どもたちの笑顔をつくることに力を注いでいたんだ、みんな。
全国から集まってくれたボランティアさんや支援してくださった多くの方々と一緒に。
だから、がんばれたし、そんな中でも嬉しいことはたくさんあった。
本当に多くの人に支えられていたんだな、学校は。
それを忘れてはいけないな。
その時感じたことを忘れちゃいけないな。
進む方向は、子どもの笑顔、だな。
子どもが笑顔でいられれば、みんなが笑顔になれる。
子どもたちの笑顔が、まちの未来。
子どもたちの「今ここ」の幸せをみんなで創ろう。
教師、父母、おじいさんおばあさん、地域の全ての方々。
みんなで力と知恵を合わせよう。
そして子どもと一緒に笑えばいいんだな。
子どもの笑顔がたくさんある学校が、あちらこちらにあれば、
まちは今も これからも 笑顔になる。
「たくましく生きよ。」
は、誰にでも優しい学校をつくる私たちの「合い言葉」なんだな。