■「そんなことでいいんですか!?」 ああ、そうだった…(^_^;)
先日、以前の学校の保護者の方と偶然出会い(8年ぶりくらいかな…)、お話できる機会がありました。
一緒に話していて、
(ああ…そうだった…)
と思い出したことがありました。
当時、私はちょっと変な「せんせい」だったのかもしれません。自分では変ではないと思っていたし、それが「ふつう」でしょ、とすら思っていたんだけど(ほんとうに)、一般的な学校の常識とはちょっとずれていたのかもしれません。
何を思いだしたかというと…当時私は『学び合い』の考え方をベースにしながら授業その他を組み立てていました。
「一人だけでできることなんて世の中には無いんだから、みんなでやろう。」
「自分が誰かを手伝うことで、自分も誰かから手伝ってもらえる、ってこと。」
「困った時はお互い様、だから困っていたら『困っているんだけど』って言っていいんだ。反対に困っていそうな友達がいたら、声を掛けてみるんだよ。」
「それがお互いを『尊重する』ってことでもあるんだよなー」
みたいなこと。
ふつうですよね?
だから、授業は基本「立ち歩きOK」だったり、私のことを呼ぶのも「○○先生」って言わなくてもよくて「もっちゃん、でいいからさー」って言っていました。
それも、上記のことがやりやすくするための、1つのやり方、クラスルールであったわけです。強制はしなかったんだけど。
うまくいくこともあり、うまくいかないこともあり、もちろんいろいろでしたが、少なくとも私一人が全員の「先生」でいるよりは、ましではあったと思います。何より、子どもたち同士で関わり協力する場面や時間が圧倒的に増えたのは彼らにとってもよかったんじゃないかな、と思っています。
でも、当時としては
「立ち歩きOKの授業がOKだなんて…」
「もっちゃん、なんて呼ばせていいのか?」
というご意見もあったのでしょう。でも私は、
(まあ、子どもたちと私の間で合意がとれていれば、いいかな)
としていたんですよね。
だから、4月の懇談会で突如、あるお母さんが
「なんか、先生のことを、ちゃん付けで呼んでいいとか?、らしいんですが、そんなことでいいんですか!?」
みたいな声が初っぱなに出て。
(あら…?)
と思い、私なりの考えをお伝えしたんですが、どうもうまく伝わっていかず、場は重苦しくなり…。
そんな時に、そのお父さんが
「まあ、子どもたちも楽しく学校に行って勉強しているようだし、別に『先生』と呼んではいけない、っていっている訳ではないんだから、いいんじゃないですか?何かこれから問題が起こればその時に考えるで。あはは。」
って一声上げてもらったのでした。
一気に、場が軽くなったような気が私には感じられ、また救われた気分(^_^;
そんなエピソードを思い出したのでした。
「せんせ、そんなこと、あったちゃねえ!笑。あんときだなー、せんせーとの最初の思い出は~笑」
「いやあ!ありましたね~、ありがたかったですー!どうしよ…って思っていたときだったんで!」
お父さんとそんな昔話をしながら、当時を懐かしく思い出したりしました。。
当時、私も私で、
(まあ、自分たちで納得していれば、まあいいかー)
的な思いもあって、丁寧に周囲の声や不安感を拾い切れていなかった面もあったんだと思います。それに変に頑固なところもあったりしましたし。だから、そんなことをあの場で言わせてしまった私の方が配慮が足りなかったんだ、と今なら分かります。それ以前のアプローチ、コミュニケーションの取り方に丁寧さを欠いていたんだと。
反省。
それぞれ、思いや考えは違っていてあたり前。そこを前提に置いた上で、子どもにとって何がいいか、何を大切にしたいのか、そこを丁寧に聴き合って確認試合ながら、必要に応じて修正もしながら進むこと、その必要性を思い出させてくれます。
保護者の方々は、大切なパートナー。子どもたちを中心にしながら、同じ方向をそもそも向ける存在。だからちゃんと聴く、その上で一緒に考えることって本当に大切。
保護者の方も、教師も、自分の思ったことや感じたことはちゃんと伝えていい、伝えたほうがいいんですね。
それは、子どもたちとも同じで、そんなこともあって少しでもそのハードルを下げたくて
「もっちゃん、でいいよー」
と言っていたと思います。
でもね、その後に付け加えていたのは
「あ、職員室の中でそう言われると、大人の事情でお互い、まずいこともあるから、そこんところ、よろしくー」
とかって言ってたっけ笑。