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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

「登校日」にある「余白」

 

 先週は、コロナ休業の中にあって、「登校日」が2日設けられた。

この「登校日」、なかなかよかった。
久しぶりに学校に子どもたちが戻ってきて、大人も子どももなんとなく華やぐ、そんな空気。

 「登校日」だから、普通の授業日とはちょっと違う感じ。
 一言で言うと、学校全体の時間の流れに「余白」がたくさんあったような気がする。
だから、私たちの気持ちの中にも余裕が生まれていたのではないかな、と思う。


 うちの学校は普段からチャイムはないし、人数も小学生だと20人に満たないから、いろんな意味で「余白」は多い方なんだけど、この「登校日」という設定は、そこにさらに「余白」が加わったみたいな感じ。

 いわゆる「授業」扱いではないけれど、それぞれの学級に応じて学びを進めていく、そんな感じ。一人一人やる内容も異なったり、それぞれのペースもあるから個人の様子も見ながら時間も弾力的に扱ったりするのは、ふつう。余白があるから、寄り添えるし工夫もしやすい、そんなふうに思う。
 そして午前中で子どもたちは下校するので、私たちは午後、次回に向けての様々な準備や研修などを行っていた。

 大人も子どももなんか、余裕でゆったり過ごせ、次回を楽しみにまつ、そんな感じ。

 6月から学校が再開し、すぐに本格スタートよりも、こんなふうに波長を合わせながら緩やかに始める、そんな助走期間になった。

 今週も、また2日登校日がある。今度は午後まで。

 時間的に内容的にも「余白」のある登校日。気持ちの余白、あそび。


 この感覚を全員で味わえたことは、けっこうよかったと思っています。
学校が再開して
「さあ、遅れを取り戻すぞ」的に始めても、おそらくバランスを崩す。
 こんな時だからこそ、この登校日の自然な感覚を思い出して、焦らず余白とあそび、をもって始めていきたいな。

 震災後に学校がスタートしたときも、確かこんなふうに感じていたから、やっぱりけっこう「ただしい」のではないかと思っている。

 

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