その通りに受け取らない、そそまま受け取らない、そんなことも必要だな、と思いました。
何かっていうと。
私たちは、批判や否定に弱い。けっこうオドロクほど弱いものだなあ、と感じます。私自身もそう。
批判、否定、そんな言葉や態度を受け取ると、結構傷つきます。
だから、なるべく自分が傷付かないように、他者のそういう言葉や態度が表出しないように
いろいろと準備をしたり全て受け入れてある面「いいなり」になったりして身を守ることもあるなあ、と感じます。下手をすると関わらないことで守ったり。
先日、ある会議の中で、自分たちにとって(見方によっては)批判的ともとれるアンケート意見について話し合いました。
「こういう意見もあるってことだよね。人の感じ方は多種多様だから。100パーセント取り入れることはできないけれど、どうしたらいいかな?と考えてその意見を吸収することはいるよね。」
「その言葉の本心はどこにあるのか?を考えたいよね。アンケートを書いた「時」の気分はそうだったのかもしれないけれど、それはつまりどんなことが伝えたかったのか、どうしてそんな言葉が出てきたのか、その背景までも考えた上でこれからを考えたいよね。」
(このメンバーすごいなあ)
と思いました。
批判や否定は、その通りに受け取らない、そそまま受け取らない、取り込んで吸収して、前に進むための「意見」として取り込んでいく、そんなチームの「匂い」がしました。
学校を「誰にとっても」よい場所にしよう、地域をよりすてきな魅力的なところにしよう、そこを同一線で考えよう、そんな目的を共有できたような、そんなすてきな宝物のような時間になりました。
これからがまたまた楽しみ。