■最後を「子ども」のせいにしない
子どもたちと一緒に学習を進めながら
「あら、うまく進まないな…」
「おや、とまどってしまっているな…」
と感じるときがある。
そんな時に
「まだまだ、力がないんだよなあ」
「だめだなあ、何やってるのかなあー」
なんて、子どもの側に責任を持って行ってしまうのと
「あら?ちょっと自分の問いが悪かったかな?」
「あれ、何が原因で、今こうなっているのかな?」
と自分の側に引き寄せて考えるのとでは大きな違いが生まれてくるなあ、と感じる。
この日は、「合意形成」をつくる話し合いの練習として、ホワイトボード・ミーティング®の「おかしベスト4」という練習フレームを行った。
「発散」の段階でそれぞれが、好きなお菓子について語るんだけど、そこまではよかった。「収束」の段階で、「1位から4位を決める」ところになると、子どもたちは
「うーん、全部1位なんだけどなあ~」
「順位を決めるのはムズカシイなあー」
って戸惑うことに。しばらく4人で悩んでいる。
大人が決めるとなると、ある面(どっちでもいいって考えるからか)さくっと1位から4位が決まることが多いけれど、彼らに取ってみればここで、はっきり1位とかを決める必然性はないわけだったんですね。それに、それぞれが「好きだ」と言っているお菓子に対して順位を付けるのもなんか…というのもあったんだろうなあ。
彼ら自身も、決めきれない自分たちにちょっと困っている感じ…。
「どうする?」
って。
なかなか決められない彼らを見ていて、
(あら?なんか自分の問いが悪かったみたいだなあ…)
って感じて、
「あー、ごめんごめん、私の問いが悪かったんだなあ。そりゃあ決められないよね、どれも好きなんだもんね。私の責任だわぁー、こりゃ。」
って介入。
「巻き戻し!こういう条件を付け加えるね…。こういう場合に、ここから一つ、もっとも適したものをみんなで相談、つまり『合意形成』して決めてみてね。」
と収束の問いを再提案。
「ああ、それだったら決められるかなー」
って子どもたちの表情も明るくなって再度話し合いがスタート。
あぶないあぶない、危うく
「いいから速く決めた方がいいよ、練習、なんだから」
と身も蓋もない一言を出しそうになってしまったなあ。
最後を子どものせいにしない、子どもを悪者にしてそこを納めようとしない、そんな言葉を思い出した。
「まだ、力が無いんだよねー」
「〇〇が■■だから、できないんだよなー」
「なんで、こうなのかなあー」
なんて他者に責任を押しつけてしまうのは、とっても簡単なんだけど、それって自分のことを棚上げしているんだなあ。