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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

いやだ、やりたくない、も言っていい。言ったほうがいい。

 私は、強制的に

「はい」

を求められるのが、とても(そう、とても)嫌いです。

 

 いやなものはいやだから。

 

 それは、イヤなことはやりたくないのとは違っていて、いやだけどやらなくてはいけないことはあると思うし、それならばなんとかして折り合いを付けてやったり、楽しくできるようなプロセスを工夫して、納得した上でやるって感じです。

 

 つまり、強制的に「はい」にされることがイヤなだけ、自分の中でごまかしをしておくのがいやな感じ。

 

 だから、子どもたちにも、

「イヤだったりやりたくなかったりしたら遠慮無くそういっていいんだ。よくないのはイヤだけど『いいです』っていったり、やりたくないのに『やりたいです』って言うこと。自分の心と頭で判断するって大事なんだ。やりたくないけど、納得して『仕方ない、やるか!』ってことだってあるからね。自分で決めた、決めるってことが大事なんだよねー」

って伝えます。

 

 だから、私は、子どもたちに、

「はい」だけを求めたりはしません。返事は「はい」だけじゃないから。

 それが

「はいっ!」

なんてのを求めるのは、私は、恐ろしささえ感じてしまうんですよね。子どもが自分の頭で考えず、反射的にYesを表明するようになる気がして。

 

 職場で考えたら、そうですよね?

何でも「はいっ!」を求められませんよねえ?

 

 いやだ、やりたくない、そういういわゆるマイナス表現も大切、マイナス表現が大切。そこから、

「なんでそうなのかな?」

って聴き合うところから、始まると、二歩も三歩も先にいけると思っているし、今までもそうだった。

 

 いやだ、やりたくない、は言っていい。

 返事は「はい」だけではない。

 

 「はい」を求めがちになるのは、求める側に「不安」があるからなんだよね。

 

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