■分かる分からない分かる分からない…
算数では、教科書を主に使いながら自分チャレンジの時間。
読みながら、練習問題に取り組み、分からないところできないところにぶつかれば、ヘルプを誰かに出す、シンプルに言えばそんな感じ。
「まずは自分からヘルプを出せることだよ。」
「自分から何かしらのアクションを起こす、教科書を読み直す、誰かに尋ねる、解答を確認してそこからもう一度考える、自分で『これがいい』と思うやり方をまず試してみよう。」
「お節介は必要ないとは思うけど、『困っているときにはいつでも声をかけてね』っていうメッセージは友だちに届けていたほうがいいとは思うよ。お互い様だからね。」
いわゆる「得意」な子だって、自分のチャレンジをしていれば「分からない」に必ずぶつかる。その時にその子がどうしているか、その姿こそよきモデル。
「うー、わかんねー、これどうしたらいいんだ?」
って、悩みつつそれでも楽しんでいる感じは、自分が「苦手」だと思って自信を持てずにいる子にとっても、
(なんだ、分からない、はそれはそれでいいんだ…)
(どうやって、そこを乗り越えようとしているか、そういうことなんだな)
ってことを感じるいい機会。
教師が何かを教える「だけ」の学びが多くなってくると、だんだん、教師の物差しにどのくらい合わせることができるか(できたとか、できない、とか)に意識が偏ってくるようになるんじゃないかな、と感じている。
「よし、そろそろテストプリントに挑戦してみようかな…」
「どこができて、どこがまだ分かっていないか確かめてみよう」
「うーん、ここがまだできないんだなあ、次の時間はここをやってみないとなー」
そんな感じで、自分の中に自分の評価軸ができるように、授業の中で子どもたちに預けるところは預けていかないとな、と思っている。
「そんなすぐには、できる、ようになんてならないに決まってんじゃん笑。すぐにできるようにならないからオモシロイってこともあるよね。」
「でも、ずっと『できない』に向き合い続けるのは、けっこう『強く』なっていないときつくて、くじけちゃうよね。だからさ、困ったら誰かに相談していいんだよ。そうしているうちに必ず、少しずつ『強く』なっていくから。筋トレみたいなもんでしょ笑」
分かる分からない分かる分からない…。
できるできないできるできない…。
そんな繰り返しなんだな、それでいいんだーって分かってもらえればいいな、と思っています。
算数でも国語でも体育でも、みんな同じだな。