次の場所へ行こう

本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■結局、自分自身

 年末だったり年度末だったりすると、いろんな「まとめ」の時期になります。
こんな時期には、時々焦りも生まれてきます。

 まだできていない、とか、これくらいでは不十分じゃないのか、とかそういう不安な気持ちになることがあります。
  
 自分自身のこと以上に子どもたちのことに対して、いやもっとはっきり言うと点数について、ついつい変な「焦り」が生まれてしまいます。
「もっと、もっと」
「これじゃだめだ」
「まだ足りない」
「まだできていない」
と。

 そうなると、変な方向にいってしまいます。「できる」「できない」にフォーカスが当たりすぎ励ましよりもだめだしが多くなってしまったり。

 もちろん、「できること」「できようになること」は必要。
 そして、そこを目標にしながら、ずっと子どもたちは一生懸命やってきたし、努力してきました。子どもたちもそこには満足感をもてていることは、これまでの彼らの毎日の言葉や姿から私も受け取っています。

なのに…
「もっと、もっと」
「これじゃだめだ」
「まだ足りない」
「まだできない」
と、言いたくなってくる自分に気が付かされる瞬間があるんです。

 明らかに、「今できること」「正解をだすこと」を要求している自分もいるんですよね。

 それ、けっこうツライ瞬間。

 毎日彼らに伝えてきたことは、
「楽しもう」「まずはやってみよう」「うまくいかなかったら、もう一回やってみればいい」「分からなかったら一緒にやろう」「分かる、できるのその先の『まだ分からない』『まだできない』を見付けよう、楽しもう」


 それに応えて来てくれた彼らをリスペクトしているし、大好きなんですよね。


 なのになあ…、と思う自分。まだまだです。ふう。知らず知らず「比較」をしていたのかも知れません。言ってきたこととしていることのズレに気付いてしまった時は
(ああ…)
となります…。


 とはいえ。

 もっとやれることがあるな、次をめざそう、はあったほうがいい。

 

「自分の立ち位置を自分で確かめて、次に向けてまた歩き出す」
 そのためのまとめ。
 一緒に歩くわたしという教員と仲間の子どもたち。そこにもう一度軸をおかないとね。


 今までやってきたことに対する満足感はどんな感じ?どのくらい?。そこから。


「ああ、自分はここまできたなあ。ここまで分かったりできるようになったし、こういうことは一生懸命できたし楽しかったなー、ここはもうちょっとだったな。ここはまだ分からないんだよなー、もうちょっとやりたいし考えたいんだよね。」
「ああー、あれはどきどきしたなー。」
「今度はこんなことしたいな、こんなチャレンジをしたい。」
「だから、今度はこうしたいな~、こんなふうになれるといいな~」
「〇〇くんや〇〇さんみたいにねー。」
「私も誰かの目標になれているかなー、なれているといいなー」

 
 自分の中に、物差しがあるイメージ。
それぞれが、そんな話ができるといいな、そんなまとめの時期に。
 私もその中に入って。
 私自身が彼らから学ぼうとしていないと、始まらないよね。


 自立。

 他者の物差しも上手に当てはめて自分を見つめ直すことだって必要ですから。

 まずは、それぞれの物差しを当てて、チャレンジしたことの価値、できたこと、できるようになったことをしっかり承認しながら、そこをたっぷり最後まで溜めてあげたいな、思い直しました。

 焦らない、焦らない。

 「灰色の男たち」は、やはり自分の中にいるんだよなあ。

 そこを自覚してコントロールしていきたな。結局自分自身。

 

f:id:motoryou:20201204113324j:plain