■毎日ちょっとずつ、そして繰り返し
カマキリの幼虫(3齢)を捕まえてきた〇君。
「えさ、探してきます!」
って言って、放課後は校庭の端の草むらに。
小さなバッタを捕まえてきて、虫かごにいれ、図書館に持ってきました。
そこで、ずーーーーーーっと、その虫かごの中の様子を見続けて、しばらくして
「せんせ!ついに捕食しましたよ、捕食です!」
と。
かつて、私もそんな昆虫少年で、水棲昆虫を飼っていた水槽を、何時間でも眺めているような、そんな子だったなあ、と思いながら懐かしく
「おお、同士よ!」
とか、言って。もちろんその子は
「え?」
とかって言ってましたけど笑。
その子のここしばらくの自主学習ノートは、「〇〇の飼い方」シリーズ。いろんな生き物の飼い方を調べてはノートにまとめている感じ。
それがきっとこの先にも、彼のなにかにつながるはず、つながるように後押ししたい、そんなふうに思います。そのために、私は彼を、じーーーーと見ていたいなあ、とも思います。
彼はカマキリの幼虫をじっと見て入るけど、私はそうしている彼をじっと見ているってことか…と思ってちょっと可笑しくなったけど。
クラスの子たちが毎日書いてくれる「振り返りジャーナル」も私にとっては大切なもの。私の見方も当然偏るから、彼らの言葉をそこでもキャッチしながらピントを合わせ直していく、微調整していく、そんな小さな作業がちゃんとできたらいいな、と思っています。
植物の世話もそうですが、こつは
「毎日見ること、シンプルにいうとそれだけ」
というのを聞いたことがありますが、納得です。毎日見ることで、小さな変化に気が付き、ちょっとした手をそこでかけるだけでいい、って感じなんだと思います。それが難しいといえば難しいのでしょうが。
毎日ちょっとずつ、そして繰り返し。
小さな変化に気が付くために、だから毎日見続ける、声を拾う、一緒に修正する、一緒に喜ぶ…それが「評価」ってものかなあ、今ここ。