■「持続可能」かあー
先日の、ある方々と「住み続けられるまちづくりって?」というお題で短時間おしゃべり。
そう聞かれて、私の中で最初に浮かんだ言葉は「自然」。
やはり「自然」が大事だよなあ、と感じたから。
「自然」はもちろん、水とか海とか山とか川とか生き物とか、そういうものはもちろんなんだけど、環境全般。人も、そう。自分も、そう。
「自然」な状態?
肩に力を入れずとも、そもそも「持続できているもの、こと」が私の「自然」イメージ。
無理がないこと。「快」の方向かな。
自然じゃないのは、その反対だなあ。だとすると「不快」かあ。
「持続可能な」というけど「何が、どう持続する」のを、私たちは望んでいるのかな?
そして「誰が」?
そこは人によって、細部はまたいろいろ異なってくるんだろうけど大元のイメージはきっとそんなに変わらないよなあ、と思う。
細部にだけ目が行きすぎて、そこで閉じてしまうと、なぜか見えなくなってしまうことは多そうだ。
でも、細部、足下と大元を行き来する。そんな作業、大事にしたい。
「細部って何?」「大元って何?」「足下ってどういうこと?」
言葉で括ってしまうことの中身を、紐解いていく、そんな時間の掛け方。
持続可能、は言葉そもそもからして「時間が掛かる」ってことだなあ。