■「時間を掛ける」
昨日は、「木のいのち木のこころ」(西岡常一、小川三夫、塩野米松)でブックトーク。
宮大工職人さんの本。
この方々の本は大好きで、他の著書も読んできたし再読も何度もしている。
そのたびに、
(ああ、そうだった…)
(あ、そういうことか?もしかすると?)
(う?どういう意味だ…?)
などとい新しい気付きも得られる。
それを今回は、仲間と一緒に読んでおしゃべりする、そんな時間。
またまた、頭がぐるぐるしたけど、楽しい時間だった。
今、並行読書をしている「モモ」と関連付けながら私は読んでいたんだ、きっと。
そして、最近いつも頭の隅にあるゴリラ研究者の山極寿一さんの一連の書籍。
マイテーマは「時間」、「言葉」。
よく「時間は有限だ」とか言うけど、もしかしたらその前提が違うのかも…と思ったりする。その前提だと、ともすれば「時間がかかる」は、マイナスイメージが付いてしまいがち。
「時間は無限」かもしれない。自分の時間の使い方は自分で決められる。本当は。自分の時間はいつ終わるかなんて分からないんだから、そういう意味で言えば「時間は無限」なんじゃないのかな…。
「モモ」の中で、エンデは「時間とはすなわち生活だからです。」「そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるのです。」と語っている。
「時間がかかる」ではなくて「時間を掛ける」。
もしかしたら、知らず知らずのうちに、「モモ」に出てくる灰色の男たちにだまされているのかもしれないな…と気付いたりする。
短時間で、すぐに分かる、できる、うまくなる、成果をだす…。長い時間がかかるより短い時間でできたほうがいいに決まってる?
長い時間を掛けて作られた法隆寺は、1000年以上建ち続けている。1000年以上を目指して当時の職人さんは建築にあたったのだろうか? それは知ることはできないけれど、その法隆寺をずっとずっと、見続け手を掛けてきた職人さん方は「急いてはいけません。」「ウソ偽りがないと自分が思えることを精一杯やっておくんだ」と言います。
◯言葉ではなんにも伝わらないんだ。
◯時間をかける。
◯言葉っていうのは便利で、なるほどと思えばそれで自分ができる気になる。
◯おれは言葉では教えんよ、やってみせるんだ。
◯「心を空にして……」
◯時間というのは人を育ててくれるもんや。
◯同じことを一生懸命やっていたら必ずうまくなるんだよ。
「時間を掛ける」ってことだな、そこを恐れないこと。自分に不安があると時間を掛けることができなくなる。はやく成果を出し、自分の目でそれを確かめたくなってくるんだな、きっと。
「ウソ偽りがないと自分が思えることを精一杯やる」
さらっと書いているけど、これはかなりしんどいことだな、ここに向き合い続けられないから、「時間を掛ける」ことができなくなってしまう。
しんどい作業だ。
だから、ついつい「言葉」に頼る。説明したり、伝えたり、話したり。でもそれだけじゃ「分からない」んだな、きっと。自分は満足しちゃうかもしれないけど。
では「言葉」ってなんだろう?今のところ、「言葉はきっかけ」だな。思考や行動を促すためのきっかけ。自分や相手の間に「問い」を生むためのきっかけ。それだけでは決して完結しない、完結したと思わない。
そしてもう一方で「確かめ」「再認識」「意味づけ」みたいな感じ?あとから
(ああ、そういうことだったのか…)
って腑に落ちるまで。言葉が熟すための時間、経験が必要。
どっちにせよ、言葉だけでは「分からない」、分かった気にならない。
「時間を掛ける」ことに覚悟を仕切れない、そんな自分に気付かされる、そんなブックトークの時間。
「時間を掛けていかないと」と、また、あらためて思う時間でもあった。
もちろん、今日だけで「分かった気にならない」ことだなあ。ああ、しんど。