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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■遊びってなんだろう

■遊びってなんだろう


 「遊びって大事だよね。」
ってところは、大概の人と合意できます。

「遊びって大事だよねー」
と。

 でも実際の現場では時として
「遊んでないで〇〇しなさい。」
「もう!遊んでばっかりなんだから!」
のように、「遊び」はなんか余計なもの、みたいな扱いを受けてしまうことが多いよなあ、とも思います。


 なんでかな?


 こういう時の「遊び」って、誰かが誰かに対してやらせたいことや管理下に置きたい状況で、それが思い通りにいかないとか言っていないときに発せられる言葉なのかな?と思いまして。


 
 個人がやりたいことをやっているのが「遊び」かな、と。
むっちゃ、主体的な行動だなって思う。

「遊びは、心のありようを表すことばである。その子が自分でやりたい(おもしろそう)と感じ動き出すことが遊び。したがって誰かにやらされていると感じているうちは、遊びとはならない。」(「あそびの生まれる場所」(西川正・著)

 私は、この西川氏の捉えが好きなんだけど。

 
 実際の様々な現場では、その「遊び」と対になっているのが「勉強」「仕事」という言葉になってしまっていたり。

 でも「遊び」が心の状態とすれば、それは「対」になるらず、遊びになっている状態かそうでないか、ってところになるはずです。


 「やりたい」「おもしろそう」


 「こんな感覚を、子どもたちを見守る大人がもっていたいよね。」
っていうのが、昨日の仲間とのミーティングで最後あたりに共有したこと。


 それで、新しい大人の遊びの企画が立ち上がったのでしたー笑。

 

 遊び場=公園、遊びは子どものすること…

 

 いやいや、そうじゃないな~ってこと。

 

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