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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「資質・能力」とかいうけれど。

■「資質・能力」とかいうけれど。

 友人と話していて。

「『資質・能力』とかっていうけど、結局、それってなんなの?って思うよねー。」
みたいな話に。

 「資質・能力」なんてものは、「はい、これです」なんて具体的にあるわけではなくて、言葉で一応規定しているもの。
 その言葉の解釈は、実のところ人によって異なっているわけで、とりあえず出発点をつくるために「資質・能力とはー」なんてことにしているだと思っている。

 でも、完全一致は、きっと無理。


「資質・能力」は、あるけど、ない、みたいな感じかな。


 「結局はさー、『生きるってどういうこと?』ってことを、意識的にも無意識的にも考えたり感じたりしながら、これからどうしたい、どうする?を探ることなんじゃないのかなあ…?」
と思ったわけです。

 なんとかする、なんとかしたい、そんな営み。

 「資質・能力」は、そんな営みから、後からぼんやりと「見えて」くるものなんじゃないのかなー。先に
「『資質・能力』を育てるためにー、」
なんて話じゃない気もする。


 でも、その「資質・能力」ってなんだろうね?ってことも考えずに、成り行き任せみたいになってしまうのも、アレかなー。
「なんでうまくいったのかな?」
「なんでうまくいかなかったのかな?」
「もっといい感じにするにはどうするかなあ?」
そんな問いの中から出てくるのが、実は「資質・能力」って呼ばれているものみたいな気がするけれど。


 言葉や理屈に過度に縛られ過ぎない方がいいな、というのが今の私の感覚。


 だから、学びも「いつか使う、役立つ」じゃなくて、「今使う、使いたい」が先にあるんじゃないのかなー。初めてのことはそりゃあ、うまくいかないんだけど、何度か経験しているうちにだんだん使えるようになって、
「こんな時はこうすればいいんだ」
になっていくんだと思う。

 やっぱり、「なんとかする、なんとかしたい」が先にあるんだよなあ。「資質・能力」うんぬんじゃないなー。

結局は、「生きるってどういうこと?」がテーマなんだよね。

 

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