■「資質・能力」とかいうけれど。
友人と話していて。
「『資質・能力』とかっていうけど、結局、それってなんなの?って思うよねー。」
みたいな話に。
「資質・能力」なんてものは、「はい、これです」なんて具体的にあるわけではなくて、言葉で一応規定しているもの。
その言葉の解釈は、実のところ人によって異なっているわけで、とりあえず出発点をつくるために「資質・能力とはー」なんてことにしているだと思っている。
でも、完全一致は、きっと無理。
「資質・能力」は、あるけど、ない、みたいな感じかな。
「結局はさー、『生きるってどういうこと?』ってことを、意識的にも無意識的にも考えたり感じたりしながら、これからどうしたい、どうする?を探ることなんじゃないのかなあ…?」
と思ったわけです。
なんとかする、なんとかしたい、そんな営み。
「資質・能力」は、そんな営みから、後からぼんやりと「見えて」くるものなんじゃないのかなー。先に
「『資質・能力』を育てるためにー、」
なんて話じゃない気もする。
でも、その「資質・能力」ってなんだろうね?ってことも考えずに、成り行き任せみたいになってしまうのも、アレかなー。
「なんでうまくいったのかな?」
「なんでうまくいかなかったのかな?」
「もっといい感じにするにはどうするかなあ?」
そんな問いの中から出てくるのが、実は「資質・能力」って呼ばれているものみたいな気がするけれど。
言葉や理屈に過度に縛られ過ぎない方がいいな、というのが今の私の感覚。
だから、学びも「いつか使う、役立つ」じゃなくて、「今使う、使いたい」が先にあるんじゃないのかなー。初めてのことはそりゃあ、うまくいかないんだけど、何度か経験しているうちにだんだん使えるようになって、
「こんな時はこうすればいいんだ」
になっていくんだと思う。
やっぱり、「なんとかする、なんとかしたい」が先にあるんだよなあ。「資質・能力」うんぬんじゃないなー。
結局は、「生きるってどういうこと?」がテーマなんだよね。