「~じゃないとき」がどうか、なんだなーって感じることがある。
例えば
「算数、じゃないとき…」
「家庭科、じゃないとき…」
「発表会、じゃないとき…」
「学校、じゃないとき…」
僕らで言えば
「先生、じゃないとき…」
「仕事、じゃないとき…」
昨日、みんなで算数をやっていました。
「分かれなければ、聞けばいい。相談すればいい、調べればいい」
4人のクラスだから、一人一人私が教えようと思えばできないことはありませんが、敢えて私はあまり教えません。というか、余計な邪魔をされるより、自分たちでなんとかするほうが楽しいみたいです。
私に聞きたいときは、自分たちで声を掛けてきますから。
教室の円卓に集まってあれこれ、相談しながら考えて
「あー、分かった、そういうことね~」
「あ、もういい!あとは自分でやるからー(^^)」
とかってやってる時が一番楽しそうです。
(うれしいなあー)
って目で見ている(つもり)と、
ちらっと私を見た子が
「せんせ、何寂しそうにみてるの!」
って言われて、
「なぬ!違うから!」
とか言ってみんなで笑ったりとか。
まだできないことや難しいこともあるんだけど、それぞれが「学ぶ」ってことに向かって楽しんで進んでいけたらうれしい。
「~じゃないとき」がどうかってことが、実は一番大事にしたいことなんだなーって思う。
「~ている」っていう状態かな、自然、ってことかなー。