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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。社会教育士。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。https://note.com/bandai_gradation/

■したことといえば「~しなかった」こと、かな?

■したことといえば「~しなかった」こと、かな?

 
 年度末のこの時期。

「もっちゃん先生にもってもらって、○○がとっても成長した。」
とか
「生き生き学校に行くようになった。」
とか言ってもらえることがある。

「先生のクラスの子たちって、なんかのびのびしてるんだよねー」

なんて用務員さんや支援員さん、養護の先生から言ってもらえることもある。

 

 なんか、そういうと「自慢」っぽく聞こえてしまうかもしれないから、あんまり他では言わないようにはしているんだけど。でもそうじゃなくて。

 私もそう言っていただけることは嬉しいし、ありがたいこと。同時にそれでいい気になってしまうことだってあった。「~のおかげで」みたいなところに。

 でも近年、本当に思うのは、自分がしたことは「~しなかった」ということなんだな、と感じている。」例えば「強制しない」「決めつけない」「縛らない」…とかそういうこと。

 だから、そう言ってもらった時は、いつも
「ありがとうございます。とは言え、それってもともと○○さんがそうなんですよ。もともと、そういうよさをもっていたってことですよー」
と伝える。それってやっぱり本当だから。私が変えたってことじゃない。そうじゃなくて、もともとその子が持っていたものを自分で出すようになってきた、ということなんだと思うんだな。

 そもそも、もっている。

 私がした、といえば、それを
「出してもいいよ」「まあ、やってみなよ。うまくいかなかたらもういっかいやってみればいいじゃん。」
そんなことの繰り返し。まあ、「邪魔しない」みたいなところ。
 あとは、クラスにはいろいろな子がいるから、その子たちがバランスをとりやすように自分なりに子どもたちと相談しながら環境調整をするってことかな…。

 でも、それって誰でもやっていること。特別なことじゃない。

「やってみたい」
ということは
「いいよ、やってみればー」
だし
「やりたくない」
のなら、
「じゃあ、どうしたいの?」
って,聞くことだったんだよね。

 その繰り返しをずっと行ってきたって感じかな。

 もともと持っているものを、出しやすくするとか、出してもいいんだ、ってすること。
したことといえば、はそんなこと。

 そこに、「最後まで聴く」を心掛けたこと。

 とはいえ、いつもいつもうまくいかなくて、失敗ももちろん多いんだけど。笑。
そういう時は、子どもたちと一緒に
「やば!どうする??」
ってする笑。

 

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