■なぜ「知って」もらいたんだろう?
クラスで、あるものやことについて
「もっと知ってもらいたいなあ。」
「もっと伝えられるといいなあ。」
なんてことが話題になった。
そんなやりとりをしながら、ふと
(ところで、なんで知ってもらいたいんだろう?)
という問いが自分の中に浮かんだ。
「ねえ、ところでさ、なんで「知ってもらいたい」の?」
って聞いてきたら、
「え?、なんでって…」
となり、そこからしばらくみんなで考え始まった、ということがあった。
自分が好きなもの、夢中になっているもの、に関心を持ってもらえたら、嬉しい。
その最たるもの、小さい範囲が、「自分自身」で、それが広がっていくと好きな食べ物だったり、趣味だったり、チーム・組織だったり、地域コミュニティだったり。
さらに大きくなると国だったり世界だったり。
だから、「知って」「分かって」もらいたいの根っこには、自分がそれを好きである、気になっている、が前提なんだな、と感じる。
自分が好きだから、気になっているから、他者にも関心をもってほしい、そんな感じ。
共通の人、もの、ことが好きになってくれたり共通の関心事になると嬉しい。
そういうことだな。
なら、自分が好きな自分自身はどんなところ?
自分が好きなものは何?
自分が好きなことは?関心があることは?
自分が好きな、関心がある場所は?
そんな自分の「好き」「関心がある」をたくさん見つけておくことなんだなあ、それを他者と共有できたら嬉しいんだなあ、とこの機会を使って考えてみた。
「私の『好き』はこれだよ。あなたの『好き』は?」
「ここは同じだね、ここはちょっと違うけど。」
「あなたの『好き』をもっと教えてくれる?」
そういうことかな。