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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■つまりは「分からない」

■つまりは「分からない」


 「分かったつもりになってはいけない」
これは、最近、自分の中でも大事にしている言葉。


「分かれば分かるほど、分からないことが出てくる、分からないことに気付いてくる」
みたいなものかな、とも思う。
「分かったと思ったら、見えなくなるし見なくなる」
とも言えるかも…と自分を省みながら思う。

 分かった、と思うとそこでそれ以上考えることはないし、見て見ぬ振りもできる。
自分に都合にいいことしか見なくなるとも言える。
 実際、目の前で起こっている現象はいろんなことが絡み合って時々刻々変化し続けているわけでこれで最終形なんてものは、そもそもない。
 「よい」の裏には「よくない」が必ずあるんだよなあ、とも。

 だから永遠に「分かった」なんてことはないってことだな。

 

  昨日ある方とおしゃべりしていて、
(ああ…)
って思ったのは
「外に、外にと広げていると、なんか同時に内側にも入り込んでいくって言うか…」
「外に広げることで、より『そもそも』を考えられるようになったり?」
みたいな会話。

ホワイトホールとブラックホール
太極図?

なんて言っていいか分からないけど、外への動きと内への動きが同時進行で進んでいるみたいなイメージ?

 知れば(知ろうとすれば)するほど分からなくなる…みたいな?
 分からなくなるけど、分かる部分がしっかりしてくる気がする、みたいな?

 ああ、訳分からん笑。

 でも「分かる」気がする…。

 つまりは「分からない」。

 

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