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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

誰でも同じ、じゃないよね。あたり前ですが。

 昨日、ある集まり(オンライン)で自由におしゃべりしていて

(ああ、そうだなよなあ)

って思ったこと。

 

 もしかしたら、伝えたいことがうまく伝えられないかもしれないし、そもそも分かってもらえないかも知れないけど。

 

 「プリント直しなんて、全部しなくていいじゃん!」

てこと笑。

 ああ…「そんなことはない、させるべきだ!」って声が聞こえてきそう笑。

「間違い直しから学ぶんでしょ!」

 たしかにそうなんですけど笑。

 

 私が、「プリント直しなんて、全部しなくていいじゃん!」っていうのは、その作業を完遂すること自体を全員に同じように課さなくてもいいよね、ってこと。

(そんなのあたり前でしょ)

って思いますよね?

 

 でも、昨日話していて、意外と

「間違いは必ず全部直して、出す」

なんてことになってしまうこともあるんですよね。

 

 苦手な子は、「苦手」だから、みんなと同じプリントをやったりすると間違いもたくさんになってしまうんですよね、だから当然「間違い直し」もたくさん…でどうかすると途方にくれたり、消しゴムで何回も消してプリントが真っ黒になったりして、大変なことになったり。

 

 「何を学ばないといけないのか、が教師が分かっていると『いったん棚上げ』『あとからまたやろう』ができるよね。」

っていうのが昨日のメンバーでの

「そうだね」

のポイントだった気がします。

 

「建設的保留」「建設的棚上げ」みたいな?

 

 ローラー作戦みたいに「教える」とか「指導する」とかを捉えてしまうと下手をすると「教えた」「指導した」事実を残すみたいになてしまいがち。もちろんその事実も大事ではあると思います。

 

 結局は「学ぶのって楽しい!」「もっとやりたいなー」「今度は○○にチャレンジしたいな~」「ぼく、○○ができるようになったんだ~」につなげていかないとな、と思います。

 

 かつて新入学の1年生にロッカーやトイレの使い方やら案内したり、学校探検とかをしていると

「ねえ、はやくべんきょうしようよ!」

って口々に言われたことがあります。

 

 そうですね、こういう期待をもって学校にくるんだもんね、って思ったことがあります。

 

 やっぱり、訳分からない文章になってしました笑。

 

 誰でも同じじゃないからね、必ず全員、同じことを同じように同じペースで、は求められない、少なくとも強制はできないよね、ってあらためて思ったんですよね。

 

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