■映画「君たちはどう生きるか」
見てきました。
「どう考えたらいいのかな…」
そんな思いで画館を出てきました。
それでも、全然悪い気分ではなくて、むしろいい気分だったので、自分にとってよかったんだと思います。
(もう一回見てみたいな)
と思いました。同じ映画をもう一回見たいと思ったのは、「ボヘミアン・ラプソディ」以外になかったので、自分にとってよかったんだと思います。
ところで。
(よく分からないなあ…、だから…)
って思うから、次に続くんだと、思います。
「分かった」「面白かった」だけでは、なんか完結してしまったり、止まってしまう感じがしました。
分からない、は不安。
分かる、は安心。
だから、私たちは、「分かる」(できる)ことがいいこと、「分からない」(できない)ことはよくないこと、なんて思いがち。「分からない」を「分かる」に、「できない」を「できる」に。そうすること、もしくはそうさせることが「よいこと」に。
だから、「分かった」「できた」気になる。自分で自分をだます。
見えないことにする、見ないことにする、向きあわないことにする。やがて、本当に見えなくなる。それが全てだと思い込む。
そこで思い出したのは、かつて一人の恩師から言われた
「分かった気になるな。」
ああ、ここで思い出したかぁ…。
言われた時は、正直、腹が立った…。なんでそんなことを言うんだ、って。
でも、ずっとその言葉を頭の隅に入れて、見回して見たら、全然見えていない自分に気が付くようになった。
(全然分かってねえな…ほんと)
分からない、でいい。
分かっていないことが分かっていればいい
そんなことかも。
「だから」前に進める、つまり、自分で選べる。決められる。
そういうことじゃないかな。
だれもが、現在、過去、未来を同時に生きている、そんなことも感じた。今、目の前に私が見えていること 他者の姿が全てではない。見えないこと、分からないこと、知らないこと、気が付いていないことだらけの中で、私たちは、実は生きている。そんなことを自覚していないと「分かった気になる」、そしてそれは、「自分を生きる」ことにならない。
そんな気分にもなる。
分からない、できないは不安。
それでも、自分の扉を勇気をもって自分の手で開けよう、そんなことも考えたり。
どちらにしても、夏の間にもう一回見てみよう。