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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■映画「君たちはどう生きるか」で、なんとなく考えたこと

■映画「君たちはどう生きるか

 見てきました。
 「どう考えたらいいのかな…」

 そんな思いで画館を出てきました。

それでも、全然悪い気分ではなくて、むしろいい気分だったので、自分にとってよかったんだと思います。


(もう一回見てみたいな)
と思いました。同じ映画をもう一回見たいと思ったのは、「ボヘミアン・ラプソディ」以外になかったので、自分にとってよかったんだと思います。

 

 ところで。

(よく分からないなあ…、だから…)
って思うから、次に続くんだと、思います。

「分かった」「面白かった」だけでは、なんか完結してしまったり、止まってしまう感じがしました。

 

 分からない、は不安。

 分かる、は安心。

 

 だから、私たちは、「分かる」(できる)ことがいいこと、「分からない」(できない)ことはよくないこと、なんて思いがち。「分からない」を「分かる」に、「できない」を「できる」に。そうすること、もしくはそうさせることが「よいこと」に。

 

 だから、「分かった」「できた」気になる。自分で自分をだます。

 見えないことにする、見ないことにする、向きあわないことにする。やがて、本当に見えなくなる。それが全てだと思い込む。

 

 そこで思い出したのは、かつて一人の恩師から言われた

「分かった気になるな。」

 

 ああ、ここで思い出したかぁ…。

 言われた時は、正直、腹が立った…。なんでそんなことを言うんだ、って。

 でも、ずっとその言葉を頭の隅に入れて、見回して見たら、全然見えていない自分に気が付くようになった。

(全然分かってねえな…ほんと)

 

 分からない、でいい。
 分かっていないことが分かっていればいい 
 そんなことかも。

 

 「だから」前に進める、つまり、自分で選べる。決められる。

 そういうことじゃないかな。

 

 


 だれもが、現在、過去、未来を同時に生きている、そんなことも感じた。今、目の前に私が見えていること 他者の姿が全てではない。見えないこと、分からないこと、知らないこと、気が付いていないことだらけの中で、私たちは、実は生きている。そんなことを自覚していないと「分かった気になる」、そしてそれは、「自分を生きる」ことにならない。

 

 そんな気分にもなる。

 分からない、できないは不安。

 

 それでも、自分の扉を勇気をもって自分の手で開けよう、そんなことも考えたり。

 

 

 どちらにしても、夏の間にもう一回見てみよう。