■「見ているつもり、見えているつもり」と評価
見ているつもり、見えているつもり、なんだと自覚している必要があるな、と自分に言い聞かせる。それは「分かったつもり」「分かっているつもり」を自覚する、ってこととも同じこと。
そこを「わきまえて」おくのが、一方的な評価(どうもこの評価って言葉にはいまだ抵抗があるんだけど。使いにくいことばだな、自分の中では)、上から目線的な評価を少しでも避けるには必要だな、と感じる。
よいこともあれば困ることもある、見えたこともあればまだ見えないこともある、まあいろいろあるんだな。表があれば裏があるみたいなもの。
絶対こうだ、っていえるものなんてそもそもない。
そこをわきまえた上で、
「どうだった?」「こんな感じ?」「こう思ったんだけど、どうだろう?」「どうだといい?」…。
そんなやりとりをしながら、向かう合う立場から、同じ方向を向く立場に変えていけたらいいんだな、と感じている。子どもたちを含む他者とも自分の中のうなぎくんとも。
その関係性になったら「評価」って言葉も、もう少し使いやすくなるのかな。