「心地よいお節介」
「ちょうどよいお節介」
「それを楽しく笑いながらやれるといいなと思っています。」
たしか、そんな言葉だったと思います。
昨日参加した、これ。
私が勤務している、雄勝地区でも行われている活動だったし、私も実際に地域で行われている福祉や医療の現場を少しでも知っておきたかったから。
そういえば、前に子どもたちと国語で「町の幸福論」(山崎亮)を読んだときに、
「まず名前を知らないといけませんよね。」
とある子が言っていた。
「へえ?」
と聞いてみたら、
「だって、名前も知らないと、その人がどういう人か、どんなことで困ってるのかも分からないし、それに声も掛けづらくなりますよね。」
と。
そうだよね。
まずは知らないと始まらないだな。
人に向ける関心。それを「心地よいお節介」に転化していけたらいいな。
そして、一緒に笑い合う。
雄勝地区の「男の介護教室」も、まずは「集まる場所をつくる」「支援者はたくさんいることを知ってもらう」ことを目的としてスタートしたらしい。
「一人じゃない」って感じられることって、こんなにも大事なこと。
それって、教室や学校といった教育の現場でもまったく同じなんだよな、とも思う。
「知る」ことで、お節介もしやすくなるし、お節介を焼いているとさらに知らないことに気が付いてくるんだよなー。
そういうのを笑いながらやれるといいんだなー。