龍谷大学のオンラインフォーラムに参加しました。
龍谷大学は震災直後から、雄勝地区にボランティアとして何度も入ってくださり、今でも関わり続けていただいています。学校としても、これまで運動会を始め様々な活動を通して交流があります。そんなご縁もあり、また、私が知らない「龍谷大学と雄勝のこれまで」がきっとあるだろう、そこも知っておきたい、という思いがあったからです。
学生さん方の報告をお聞きしていると、
「何度も何度も繰り返し来てくださっていること」
「雄勝の様々な方々と顔と顔のお付き合いを大事にされてきたこと」
「先輩から後輩へとそれをつないできたこと」
が伝わってきます。
こんなエピソードを思い出します。
学校の運動会は、地域の方々との一緒に運動会です。その準備や運営のスタッフとしても龍谷大学のボランティアの方々も加わってくれていました。運動会を準備するための担当者打合せの時に、公民館の方が
「龍谷の学生さん方は、震災直後の雄勝が本当に大変だったときからずっと通ってきてくれているんだ。中には毎年来てくれる学生さんもいる。地域の方々の中には、そこの学生さんがたを孫のように思って会うのを楽しみにしている方もいるから、大切にしたいんだよ。」
と話していました。
学校職員は異動が繰り返されますから、その辺りの経緯をよく知らないメンバーもいましたが、公民館の方々のお話をきき、
(なるほど、そういうことか)
とまた思いを新たに運動会の運営にみんなであたったのでした。
今回の方向の中で、ある学生さんが
「数字ではない、データではないところでの理解、感覚を得られた」
「データが顔になる。」
というような内容をお話されていたように思います。
何度も通い続けることで感じた生の感覚なんだろうなあ、と思うと同時に私たちもまた子どもたちや多くの人と接するときに大事にしたい部分だと新ためて感じます。
第2部は「小さな命の意味を考える会」代表の佐藤敏郎さんの基調講演「3.11を学びに変える」。大川小の出来事から、防災を考える、未来を考えるそんな時間。
実は佐藤さんのお話は、ずっと伺ってみたいみたい、と思っていたもの。
「仕方がなかったことにしない」
こうおっしゃったけれど、この言葉に込められた思いを想像します。そして、
「念のためのギアをあげる」
「山は命を救わない、判断と行動に結びつくかどうか。」
「災間、平時に種を蒔く」
そして、
「シンプルに丁寧に命に向かう」
このシンプルに、がそもそも、何だな、と感じます。
「ああ、ここだ」と思いました。
ここの感覚については自分に問い続けたいところです。