20代後半か30代前半のころ、今で言えば学級崩壊というのを経験した。
自分の学級ではなく、隣の学級で。
自分の心の底にその時のことは実は澱のように残っている。
先日、またあらためてそのことを強く思い出す記事に出会った。
書いてくれたのは、かつての私のクラスの子。
記事の詳細はここでは触れないけれど、
「あの頃の隣のクラスの児童として、それでもずっとなんとなく心を痛めていたあの6年生の出来事を少し消化することができた。」
と書かれていた。
当時、私は学年主任として、隣のクラスの状況が気になってはいたのは確かである。そして、何とかしようとそれなりに何かを働きかけて居たことも確か。
それでも、どこか自分に後ろめたさが残るのは何故だろうか、と思う。
そう、後ろめたさなんだ。
今感じるのは。
今なら分かる。
原因の1つは私自身にもあったということ。それをどこかで感じながら「何とかしよう」としていたんだ。
自分自身が「過刺激」だったんだ。当時の記録を引っ張り出してきてあらためて読んでみた。そこに書いていた自分なりのまとめ。
「問題なのは、荒れの原因を担任にだけ背負わせてしまうことです。担任が事態の解決につながることのみに全エネルギーを使えるように周りがサポートしてあげることが大事なのだ、と感じました。その面で私の学年主任としての対応は後手後手にまわった不十分なものと言わざるを得ません。学年・学校として取り組むべき時期をみすみす見過ごしていたと思います。『担任を差し置いて』という意識がやっぱりどこかにあったのだと思います。」
サポートしてあげる、じゃない。
担任を差し置いて、じゃない。
今なら、自分はそこにフックするんだな。
4月。
新しい環境になって、子どもも大人も、それぞれがそれぞれの居場所はどこか、どこに居場所をつくろうか、に神経を使うかもしれない。
みんなが居心地のいい場所を、お互いに作り合えば、それでいいんだな。
居場所ははじめからあるんだ、ってこと。
そこを分かってなかったんだな、と今は思う。
ずっと前の、それでも消えない自分の記憶を掘り起こさせてくれた、Aの記事だった。