「コミュニケーションのきっかけになるようなものをパブリックマインド、公共心といいます。そのパブリックマインドは"境界"に宿るんです。」
とは、ある本を読んいて出会った言葉。思わず膝を打ちたくなるようなフレーズだった、私にとっては。
そうかあ、関係性の"境界"なんだ…。私は今までなんとなく「えんがわ」を画像イメージにしていたけど、それもまた"境界"。その境界をどうデザインするかってことか。
建築設計でも空間デザインでも、コミュニケーションを抜きには考えられない。(それを活発にするのか、遮断するのか、の違いはあるかもしれないけど)
ただ、前述の「公共心」を大事に考えるのであれば、いかにコミュニケーションが活発に円滑に(心地よく)図れるようになるかを考えたデザインを考えるってことになるかな、と思う。効率的に、とはちょと違うかな、とも。
存在する境界やできてしまった境界を越えて、出会えたりしやすくしたり、自由に行き来できたりしやすくしたり…。そこにデザイン。
佐藤卓さんは、「デザインは気遣い」とも言っている。こっち本位じゃなくて受け手本位な感じ。デザインを受け取る側にその感覚は委ねられる、とも言えるかな。強制的ではない。
公共心とコミュニケーションとデザイン。
むむむ、なんか面白くなってきたな。デザインする側にも、その受け手との細かな交信が存在するってことだなー、それがアセスメントであり、よく見る、であり、気遣いでもあるってことかな。
おもしろいなー。