大概、人は「よかれ」と思ってなんかするはず。
一方で、その「よかれ」が結果、そうなっていないこともある。
多くの人の「よかれ」が重なってくると、それが自らをがんじがらめにしてしまっていることもある。そしてそれに気付かない、気付けない。
もしくは気付いても
(今さら…)
と思い、気付かないふりをしてしまう。
「よかれと思って」はどこまでいっても、一方的ってことかな。
そうじゃなくて、
「こうだとどうかな?」
「こうしない?」
「こうがいいかな。」
「そっか。ならばこんな感じかい?」
「うん、そうしよう!」
「おけ!」
こんなふうに、一緒にやりとりすることでお互いの「やくそく」「とりきめ」が決まっていくんじゃないのかな。一緒に決めると、変えることもできるし。
そっか、「やくそく」「とりきめ」もそもそも「一緒に決める」もの。当たり前のこと。