■バナナおにも、ソーランも実は同じ
対話をする、体験的に学ぶ、感じる。そんなようなこと。
学芸会のソーラン練習。
絶対やりたくないのは、
「ここはもっとこう!」とか「もっとここを合わせて!」とか「もう一度!」とかってばっかり、教師が言ってしまう練習。
子どもから見ると
「やらされる練習」みたいなやつ。
「どんなソーランにしたい?なるといい?」
ってことをみんなに尋ねて子ども同士で話すと、やっぱり、
「全力でやる」「楽しい」「失敗しても力いっぱい」「ミス無しで」「見ている人もつい一緒にやりたくなるような」
みたいには言います。
実際にそのほうがいい、と心の奥では本当に感じているんだと思います。
だから、それが具体的にどんなことなのか、を体験を通して感じられてばいいんだなと思います。本番までの練習を通して、自然とそうできた場面やそうできた自分(たち)を感じられる、自分たち自身にそうできる力がもともとちゃんとあるんだ、それをちゃんと引き出せたんだ、ということそんなプロセスをつくって行きたいな、と思います。
「あ、なんだ、これでいいんだ!これがいいんだ!」
みたいな。
「そっか。こうできたから、そういう気持ちになったんだー」
みたいな。
例えば、
「お!それそれ!」「今の、みんなの〇〇は、まさに、目指すところのココにつながっていたんじゃない?」「ちょっとー、□さんの本気度、ほんと、すごいなー」
時には
「あら~、それって君の力の半分だな~、あはは、どーしたのー?笑」
みたいなフィードバックや
「じゃあ、今日やってみてどうだったかな?4,5人でサークルをつくって話してみてね。」
という対話の場であったり。
昨日の練習は、
「バナナおに」で始まって、ソーラン練習をみんなでやって、グループお試し発表やって…みたいな流れ。
「バナナおに」も「ソーラン」も実は一緒なんだなー。
「全力でやる」「楽しい」「失敗しても力いっぱい」「ミス無しで」「見ている人もつい一緒にやりたくなるような」…
という、目指したい姿については同じですよね?(バナナおにに関していえば「失敗」「ミス」は捕まるとかそういうことになるんだろうけど)。だから
「バナナおにも、全力で楽しめる、楽しむ、それとソーランだっておんなじなんだよねー」
なんてことも子どもたちには伝えます。
その上で、
「ここはもっとこう!」とか「もっとここを合わせて!」とか「もう一度!」とか子どもたちに要求することもあります。プロセスがうまく積み上がっていけば、それもだんだんと子ども同士でやり始めることも多いですし。
「そこのところ、なんかまだ格好悪いんだけど、なんとかならない?」
っていう問いかけも時には必要になてくるでしょうし。
自分たち(子ども、教師)は何を、どこを目指しているのか?という思いを、初めにちゃんと共有しておくこと、そしてそれだけじゃなくて、それが具体化してきていること・事実・場面を拾い上げてみんなの財産にしていくこと、そして
「ここまできたね!じゃ、次のチャレンジはなんだろうね?」
ってみんなで決めていく…。そんな流れをみんなで創れるといいなー、と思っています。
初めの思いは、解像度が低い場合ももちろんある。こういう時にはそういうもんでしょ?みたいに、なんとなく「全力で!」みたいに言った子もいるかもしれません。
それでもよくて。
練習を積んでいくうちに
「ああ、自分の全力、ってこういうことかあー」
「みんなと全力でやるって楽しいなー、苦しいけどー」
とか、そうやっているうちに、全力のレベル自体が上がっていくかも知れないし。
そんなそれぞれの体験になれば、いいんじゃないかな、と。それが彼ら一人ひとりの今後に、何らかの形で残っていけばいいな、と思います。学芸会のことは忘れてもいいから。
対話して,思いを一旦共有したら、それを確かめる体験・経験を積み上げていく、その間に対話を何度も何度も挟み込んでいく、まるでミルフィーユみたいなおいしいプロセスができるといいんだな。
学芸会の打ち上げは、ミルフィーユで「催し」ができるといいんだけどね。