知らず知らずのうちに、自分を縛ってしまっているものから自由になりたいし、子どもたちにもなってほしい、と思っています。
こうじゃなきゃいけない、ここまでできないとだめ、こうすべき。これが当たり前…
そういうのって、関係性や状況や時代によって色とりどりに規準は変わるもの。だから、自分できめたことが、その時はきっと「正しい」。
できた、とか、まだできない、とかも自分で決めればいい。できてもまだできなくても、周りの人が笑顔で接してくれればOKなんだよね。どっちにしても次のチャレンジを始めるはず。
「自分が嬉しい、楽しい」は「他者の嬉しい、楽しい」。
「他者の嬉しい、楽しい」は「自分の嬉しい、楽しい」。
もちろん人間だから、うまくいかなくて、その反対のことになってしまうことだってあるよね。でも、それすらも「肯定」してあげる人がいてもいいんだと思います。そういう人もいないと、不安を抱えたまま。そして、やがて他者を攻撃したくなってきますよね。それも無理もない。
学校行事なんかの取組も、
「自分で自分の『楽しい』をつくる練習」
「自分の一生懸命,夢中が『楽しい』につながるんだな…という経験」
「自分の『楽しい』が他者の『楽しい』につながるんだー、になんとなく気が付く経験」
だったりするんだと思っています。「人間関係形成」「社会参画」「自己実現」ってそんな感じなんだと思っています。
本当は、教科学習だって、同じだよね…とすら思います。
自分の「楽しい」と他者の「楽しい」を両方実現する。実現するためにあれこれやってみたことで「失敗」もする。それでOK。そんなことを繰り返しながらってことだなー。
自分を縛らず、他者も縛らず、でもお互いに気持ちよく。
すっごくムズカシイから、何度も「失敗」してしまうんだな。
それですら「OK!」って言ってくれる人がだれかいれば、次に進めるよね。