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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

「がんばる」について

 「がんばる」ということについて。

 

 往々にして、よく「がんばろう」「がんばりましょう」なんて言うけど。

どういう状態をそう言うんだろうね、って思った次第。

 そして「がんばる」のはいいことなのか、どうかとか。

 

 こう言うと

「がんばらなくてもいいのか」とか「手抜きでいいってことか」なんてことになるかも知れないけど、そういうことを伝えたい訳じゃなくて。

 

「がんばる」のがすべて「いいこと」ってなってしまったり、それを他者に一方的に、もしかしたら無意識に絶対的な価値として「押しつけ」てしまうようなことがあれば、それはそれでいかんな、と我を顧みて思うってこと。

 

 そもそも、「がんばる」「がんばれ」なんて言葉は、どこまでがいけばそうなるのかがはっきりしない。自分で自分に使うときには、なんか自分を納得させるために使ってしまうこともある気がするし。本当に「がんばった」ときに、

「あー、自分、がんばったー」

って言うのかな…。

 

 他者が誰かに向かって使うときは、その他者の価値観で使うことが多い気がするんだな。どうだろう。

 

 「がんばる」「全力」「一生懸命」。

うん、その価値を否定しているんじゃなくて。むしろ、それって価値あることだと思う。今日の「がんばった」は、1年後の「ふつう」になるし。

 

 その時その時の、その人の行動は全て、その時の自分の決断であるとすれば、それはそれで、そのときその状況の「がんばった」でもあるのかな。

 だから、次に、どうするかな?を自分で考えてみる、次の行動を自分で選択する、そんなことも「がんばる」にしてもいいかなー、なんて思うんだな。

 

 「がんばる」「本気」は自分の中にあるものなんだな。

 

 うーん、うまく言えない、少し棚上げしておこう。

 

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