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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「めんどくさい」「めんどくさい人」

■「めんどくさい」「めんどくさい人」

 昨日は、仲間とゆっくり2時間くらいおしゃべりする、といういい時間を過ごしました。


 その中で、心に残った話題として
「めんどくさい」「めんどくさい人」
ってこと。

 身近な課題であれ、世の中のことであれ、あることに対して自分の考えを話す、そうすると
「なんだ、めんどくさいなー」
「めんどくさい人だなあ」
なんて言われることもあるよね?ってこと。

 ところで、この「めんどくさい」って何だろうね。
 何が「めんどくさい」んだろう?
 「うっとうしい」「こうるさい」ってことなんだなろうな…とも思う。「余計なことを言うなあ(言うなよ)」、ってことでもあるだろうな。

 

 
 「そう言われちゃうと、もう、何にも言いたくなくなっちゃうんだよね…」
とその方は、
(あーあ)って感じで言っていて。
「もう、いいや…って気持ちになるよね。」
と。
「分かるな~」
って感じます。

 

 この「めんどくさい」って言葉は、コミュニケーションを遮断する言葉だなあ。それと同時に考えることも。だって「余計なことをいうなよー」「オマエの話はききたくなーい」って意味だと感じられるから。コミュニケーション停止、思考停止の宣言ですね。


 これって、とってもまずいんじゃないかな…って思いますね。


 コミュニケーションってそもそも「めんどくさい」(というか時間がかかる、時間をかけることを楽しむ)ものなんだもの。そして、そのコミュニケーションは、「ひと」が安心、安定するにはとっても大事なものなんだと思うけれど。

 

 「ひと」というあまりにも多様で不確定な要素よりも、システムとか仕組みとか、そっちのほう?効率?一見スムーズ?を重視すると、その「めんどくさい」という言葉が生まれてくるのかな…なんて考えたり。
 だとすると、順序が逆になっていますよね

 

 この「めんどくさい」は「モモ」(ミヒャエル・エンデ)に出てくる「灰色の男たち」の葉巻からでるけむりみたいなもんだな…なんて想像したのでした。
https://hyakuhon.com/novel/%E3%83%9F%E3%83%92%E3%83%A3%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%87%E4%BD%9C%E3%80%8E%E3%83%A2%E3%83%A2%E3%80%8F%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98%E3%81%8B%E3%82%89/

 私も、十分「めんどくさい人」だという自覚はあるから、そう言われたら
「出たな、ハイイロノオトコ!」笑って言ってやるー笑。

 

 魂を抜かれる前に、みんな「めんどくさい人」になろー(^^)

 

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