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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■ 「護られなかった者たちへ」

■ 「護られなかった者たちへ」

「『対話しよう』ではなくて、『対話になる』んだな…」

 これは、あるラジオを聞いていて、ふと耳にとまった言葉。

 はじめに「対話」という決まったものがあるんじゃなくて、そういう状態になっていく、そんなことかなと思いました。

 対話とは何か、もありますが。
「気持ちを伝えるもの、気持ちを受け取るもの、その相互のやりとり」
みたいな意味で今の私は捉えているんですが。


 昨日みた映画「護られなかった者たちへ」。


 https://smfc-feature.com/mamorare/

 

「声を上げるんです。そうすると誰かが手を差し伸べてくれる。」
 
 「適切な」運用のために決められた「原理原則」。その原理原則があるからこそ、適切に運用できることも多い。一方で、その原理原則自体が、邪魔することもあります。個々のケースにぴったりと当てはめることはできないから。そこを埋めるのはやっぱり人しかできない、そんな気がしました。

 声を上げることと一緒に、声を受け取ること。キャッチすること。
 すぐに、自分だけでなんとか出来なくても、誰かと一緒につなぐこと。
 声を上げられる環境をなるべく多くで整え合うこと。


 それこそ、自分の身の回りの数メートルの範囲でしかできないことだけど、だからこそ「原理原則」だけにとらわれない運用もできるってことでもあるのでは…と思ったのでした。
 
 映画でも、業務が多すぎて余裕がなくなってくると「原理原則」だけで進めるしかない…と感じさせられるシーンも。

 

 想像できることでもあり、このあたりも考えさせられる部分でした。

 

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