昨日は、かつて受け持った学級の子たちの成人式でした。
3月の震災を挟んで2年間、3年・4年と受け持った子たちでした。
今どういう顔で会えばいいのかな…なんていう、自分でも訳の分からない気持ちもあって、会場についてもなかなか一歩を出しにくい、そんな不思議な感情もあったりして。
自分が、当時、よかれと思ってやっていたこと、あえてやらなかったことが、今の彼らにとってよかったのか、そうではなかったのか…そんなことも思っていたのかも知れません。
「結果」は、数字では出ないし、ましてや、完璧もなければ全くだめもない、そんな不安な中で、私も実は思い悩んでもいたんだな、と気付かされる思いでした。
会場では、
「あ、もっちゃん!」
と当時と同じ呼び方で、声を掛けて寄ってきてくれた彼らに,妙に安堵しそして嬉しかった自分もいたり。昔話で盛り上がったり。
一歩が出せなかった自分はどこに?って感じで…笑。
「休み時間の度に、校舎の裏の崖を、トンカチやノミで彫って『化石』探ししましたよねー、むっちゃ毎時間!笑」
とか、まあ、そんな話とか。
当時の保護者の方々にもたくさん声を掛けていただき、
「先生のおかげで~」
なんてことも言ってもらったりはしましたが、(それはその方は本当にそう思ってくださったんだと思い、嬉しいのは嬉しい。それに10年たってもそう感じてもらえることは本当にありがたいことです。)、それでも、
「おかえりモネ」での「『あなたのおかげで…』は麻薬です…」の言葉を思い出し、
(いかんいかん、有頂天になるな…)
と自制し、みたいな自己内せめぎ合いのときでもありました。
結局私も、他者からの「評価」(どう感じてもらえるか)は気になるんだな…と。それは、仕方ない。
そうでもあることを認めた上で、そこを目的にしなければいいんだと思って。よく思われようと、よく評価してもらおうと…となると正に「麻薬」。
自分自身がよいと思うことをする、自分自身が楽しいことをする、それが結果他者の嬉しいや楽しいにつながるように。「~のおかげで」を目的にしない。気を緩めるとここが逆転してしまいそうになるから気をつけないといけない。
結局、自分自身が自分の生き方を自分で決める、そういうことなんだな。子どもたちに負けないようにちゃんと生きるっていうか。
そして、目の前の子どもたちと一緒に、「自分の頭で考えて自分で動いて、多くの仲間と前に楽しく進んでいこうぜー、そのほうが自分もハッピーになれるんだ」って体験を積む、そうしやすい環境を一緒に整える、そういうことを毎日やっていきたいんだな、私は。
今年もゆるやかにがんばろー。
新成人から元気、もらった。ありがとう。