■「優れている」とか「優秀である」とか
「優れている」とか「優秀である」とか。
「すごい」とか「上手」とか。
それ自体はもちろん、「いいこと」ではある。
ただ、どうかな、それが過剰に個人に向けた言葉になった時には、私はいつも
(ああ、これは…)
って感じてしまう。
集団、組織、チームの中に好ましくない序列や競争意識が生まれることがあるから。そしてそれは目に見えないし、ほとんど誰も口にしないけど、たぶん誰もがアンテナでキャッチしていること。
そうなると「集団全体」のパフォーマンスが落ちてしまうほうが多い。
私が学級を持つときは、そこをならす作業をちょこちょことしている感じ。
「競争する必要はないよ。あなたはあなたの持ち味を発揮すればそれでいいんじゃない?」「それが十分『すごい』ってこと。」
「でも、それは同時に『自分の足りないところ』もちゃんと自覚することで、持ち味も発揮できるんだ。」
「『あー、できない~』『難しい~』『苦手なんだよね~』も『やった!』『すごいでしょ!』と同じくらい値打ちのあるものなんだよね。」
「すごいね~!」「ステキ!」「さすがだなー!」
こういう言葉を、組織の管理者(学級で言えば担任とか)が出すんじゃなくて、集団の構成員(学級だと子どもたち)お互いが伝え合えるといいな、と思う。そして同時に、
「あー、できない~」「難しい~」「苦手なんだよね~」も。