■「教育判例」から考えること
ご縁をいただき、「教育判例」という分野の、弁護士さん方の勉強会に数人の学校教員の方と一緒に混ぜていただきました。
(法律的に、現場を見てみるってやっぱり大事だな…)
と思った次第。
そこがやっぱり原理原則で、元を辿れば、「基本的人権」がベースになるから。
子どもと大人が「児童」と「教師」という立場でいることが多い学校。そして「その子のために」「指導することが必要」という意識が、時に、「基本的人権」よりも優先されてしまうこともあるのではないか…といくつかの判例について、一緒に考える中で感じました。
学校における教師は、どうしてもある種「権力」をもった立場でしょう。そのことを自覚した上でどう子どもたちに接しその成熟に寄与するか、自らの人権感覚が試されるな、そう思いました。
双方向のコミュニケーションが不全となると、往々にしてどちらかの人権が侵害されている場合が多いように感じます。教師側からみれば「一方的な指導」「高圧的な態度」「強いる指導」だったり。子どもからみれば、「話を聞いてもらえない」「何もいえない」でしょうか。
かつての私も、そこに踏み込んでしまったことが何度もあります。本当に恥ずかしいことです。
人と人が関わり合い学び合う場ですから、時には、ある程度の突っ込んだやりとりが必要な場面もあります。そこではぶつかり合いが起こったりして、コミュニケーション不全に陥りそうな瞬間もあるでしょう。そういう時にも、それを回復させる術を、私たち教師は懐にちゃんと持っていたいな、と思いました。だからもっと学ばないといけません。
コミュニケーション不全の解決策は、最後は「支配」「暴力」「恐怖」になる…では、市民を育てる場としては、あまりにも不適切ですもんね。