互いの思いや言い分だったり、そこがずれていると対立も起こる。
それは子どもでも大人でも同じことだな、と思います。
昨日ある方と一緒におしゃべりする時間がありました。大人の職場を任されているかたで、思いやりのある優しい方です。
「職場でいまこんなことも起こっていてね…、どうしたらいいかみんなで話し合っているところ。」
と話してくれました。
聞くと、そういうことは、やはりどこでもあることなんだなあ、と思います。私の身近なところでもつい最近あったばかり、というか現在進行形でもあります。
「私の立場からだと、どっちの気持ちも分かるし、だからこそ、簡単にジャッジできることではなくてね。」
と話します。
その方の立場を使えば、「ジャッジ」も出来るのですが、それはしたくない、と話します。
ジャッジをすれば、「ことは終わり」ます。でもねー、です。
「おりあいをつける」という言葉が頭に浮かびました。それは、関係者それぞれが、
「まあ、仕方ないか」を受け入れることかな、と。
「いったん、この辺りでよし、としておいてとりあえず先に進もう」
みたいなところもあるのかもしれません。根本的な解決には至らないから、いったん宙づりにしておこう、みたいな。
折り合いをつける、宙づりにしておける組織、メンバーは、やはり「おとな」なんだと思いました。
だったら、子どもたちの学校生活でも、「折り合いのつけかた」を毎日毎日の学習、生活の中で積み上げていくことだよな、と感じます。
それにも技術があるでしょうね。