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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

「ちから」と「指導」

 力を付ける、とか能力を育てる、とか。

 

 もちろん、学びは人との(もの、こととの)関係性の中に多くはあると思うので、他者が与える影響は大きいと思います。

 

 ただ。

 

 教えてできる、ようになったことは、それは本人がいつでもどこでもそれを取り出して使いこなせる「ちから」になっているのか?となると考え込んでしまします。

 

 学び手がそれを強く求めて居る状況下で「助言する」「教える」(学校では指導する、なんてこともいいますが)のは、本人の汎用的な「ちから」に結びつく可能性が高いかも、と思います。

 しかし、そうじゃない場合は?

「求められたらできますけど」

くらいだと、自分の「おもしろい」「楽しい」「こうしたい」に向けた事柄に、「できるようになったそれ」が使えるのか?と思ったりします。

 

 自分で使いたい、こうしたい、こうありたい中で獲得したからこそ、自分の道具として獲得できるんじゃないか?と思っています。

 だから、子どもたちにも

「どうしたい?」「どうなるといいの?」

って聞きます。

「じゃあ、やってみようかー。困ったら声を誰かに掛けてねー」

としています。

 

 願いに向けて一歩踏み出したり、困った時に取り出せる、そんな道具としての「ちから」。もともとその子の中にあるその「道具」を自分で見つけて、自分で磨いたりだ誰かと一緒に磨いたり。

 

 そして、自分の「ちから」を発揮できる、発揮しやすい環境・条件を自分で整えることができる、そんな練習を、教室・学校でしてほしいと思っています。

 

 それには、まずは自分もそうじゃないといかんよね、とさらに思っています。