■人事評価に思う
人事評価面談、というのがあって。私が試行錯誤しながらあれこれやっていることも十分認めてもらっていて、よい評価もいただいているんだけど。だから、その中身についてどうこう言う気は全くないんだけど。本当に。たっぷり時間も割いていただき、たくさん意見交換もできたので、私にもとても充実した時間になったことは確か。その上で、
その前提の上で心のけっこう中心部分で感じたこと。
「数字で評価できないものを数字で表されるのは、やっぱりいやだな…」ってこと。これ、けっこう強く感じる。数字がよい、悪いの問題ではなくて。そして、数字がどうであっても
「それで自分のやる気があがることは、私の場合、ないな」
ってこと。むしろやる気が落ちる感覚。
校長先生にも教頭先生にも認めてもらっていることは普段のやりとりの中でも感じ取っているしありがたいなあ、と思っている。むしろたくさんお世話になっていることへの自分の感謝の気持ちは大きい。
だからこそ、最後に数字がでてくると、なんか「もやもや」してしまう。階段を踏み外したみたいな、「あら?」っていう体感。数字自体が「いい」「よくない」は関係なくて。どちらだとしても納得感に乏しいんだと思う。なんでそうなのか?が「自分で」分からないから。
そもそも数字で表せないものを数字で表さざるをえない、そしてその「記号」を受け取る、ことがきっとその「もやもや」の原因なんじゃないかな。自分で数字を付けたままでいい。もちろん数字を付けなくてはいけない方の大変さと心苦しさも分かっているから、これはあくまで自分の感覚なのだ。
でも
「結局、数字?」「最後は数字という記号化されたもので出てくるのか…」って感じてしまうと、今までやってきたことが、ものすごく軽くなってしまった気がしてやっぱり嫌だな。うん、素直な気持ちは、そう。
かくいう自分も、「通信票」ってもので同じ事をせざる終えない訳で。そして同じような感覚を与えているかもしれないと思えば思うほど、やっぱり、辛く悲しい気持ちになってしまうんだよな。これ、本当になんとかしたい。
「評価」の目的ってなんだっけー。たくさん認めてもらったのになんかすっきりしない、ってなんだろう。