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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■それ自体を楽しむ、でもいい。それがいい。

■それ自体を楽しむ、でもいい。それがいい。

 校内持久走大会が今月末。
 ともすると、「いかに苦しさに耐え、がんばるか」とか、「自己ベストタイムという“結果”を出そう」とか「一人でがんばる」とか、そういう方向にだけフォーカスを当てがちになる、敢えていえば「学校」というところは。

 もちろん、それにはそれの価値がある。それは分かる。でも「それしかないわけないでしょう?」とも思っている。チャンピオンスポーツとしての「スポーツ観」に寄りすぎると、運動が苦手とか、そういう子にとっては余計に運動嫌いにさせてしまうこともある。
「走るのきらい…」「やだな…」的に。

 だから、今までも、体育で持久走をやるってことになったら
「あーあ…」
とため息が出てしまう子どもも見てきた。それを、
「ほら、がんばれ!」
とかって言ってしまいがちなんだけど。
「自分のペースで走ればいいんだ。」
と言いつつ、自己ベストタイムを出すことを求められるたりすると、それはそれで、「自分のペース」を常にあげ続ける事を求められるわけで、苦しくなる。


 「走ること自体を楽しむ」というのもあっていい。
 というか、そっちが先だよね?と私は思っている。

 タイムの為でも、根性とか精神力のためでもなく、これだけでの「体力向上」でもなく、そういう「〇〇のため」ではなくて、純粋に「走ること自体」を楽しむ。周りの景色を見ながら気持ちよく走るのもよし、だれかとお話しながら走るのもよし、もちろん自分のペースを上げながら爽快に走るのもよし。豊かなスポーツライフ、ってそういうことじゃないのかな。

 生涯にわたる健康なスポーツライフを目指すのなら、体を動かすことが「楽しい」「気持ちがいい」につながることが大切だと思う。いろいろな楽しさを経験していくうちには、だんだん、自分に合った「速い、強い…」を目指してみようかな?ってタイミングがやってくるものだと感じて居る。誰かと競わされる状況の中ではなくて。

 マラソンカードを使った子どもたちの練習も始まった。ただ走った周回を記録するだけではつまらないな、と思うので…。双六みたいになったカードには、何周かごとに「〇〇先生に応援してもらえる」「〇〇先生の素敵な笑顔プレゼント」「〇〇先生の一発ギャグが見られる」「〇〇さんとじゃんけんをする」「〇〇さんとあっち向いてほい!をする」みたいな「お題」がちりばめられている。だから近頃の職員室や廊下はけっこう華やいでいるんだな。私たちも子どもたちの頑張りに、いろんな角度、機会に多くの子に声を掛けることができるし楽しい。

 体を動かすことも、誰かと一緒にやったり関わったりすることとセットになると、楽しみ方の幅が広がる気がする。
「持久走大会に向けてのさまざまが楽しかったね」
と感じられる、その幅を子どもたちとどうつくっていったらいいだろう?そんなことを考えるの楽しい。

 一つのことを通して、いろんな楽しみ方を探っていけるといいな。過程そのものを楽しむ、そのこと自体を楽しむ、を考えて。