■高い、速い…が=「できる」ではない
昨日は、地元研究サークルの例会。
今回は体育をテーマに仲間と話しました。実に面白かった。
考えたことは体育における「できる」「できない」、そこからの「すき」「きらい」。
各校で行われている(いた)「持久走大会」を話題にして行いました。さっきの「できる(得意)」「できない(苦手)」でいうと、やっぱり、速い子が「できる(得意)」、遅い子が「できない(苦手)」って感じてしまう傾向が強いですよね。そこからの「すき」「きらい」。
それは、持久走に限らず、跳び箱だとすると、「○段跳べた」「跳べない」になりますし、ボール運動だってゲームにおける活躍の度合で「できる(得意)」「できない(苦手)」…てなります。
「できる」「できない」は速いとか高いとか、そういう目に見えやすいことで規定されがち。分かりやすいから、でしょう。分かりやすい…はくせ者。
私が思い描く体育は、「できる(得意)」と思っている子も「できない(苦手)」と思っている子も、どちらも「楽しいなー」って感じられる体育です。学習指導要領の体育科の目標でもそういうことだと思います。「心と体を一体として捉え、生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力を~」っていうのは、そういうことではないかと感じます。
だから、体育が、運動が嫌いだな…とかやだな…ってなってしまっては体育としてはいかがなものか、です。そして、そこにはやっぱり「できる(得意)」「できない(苦手)」がでーん、とある気がします。どうするといいかな。
昨日の例会の中で、印象に残ったのは、
「それで、学習内容は何か?」
という問い。それは、「持久走」とか「跳び箱」とか、種目のことではもちろんなくて。例えば、持久走なら、
○ 運動の楽しさや喜びを味わい、その行い方を理解するとともに,体を動かす心地よさ を味わったり,体の動きを高めたりする。
・無理のない速さで5~6分程度の持久走をすること。
(詳細は、学習指導要領解説体育編で)
とあります。
もちろん、我々はそこを把握して子どもたちに我々はあたる訳ですが、いずれにしても、「できる(得意)」「できない(苦手)」と「○○きらい…」も生まれてしまうわけです。「無理のないペースで心地よく走る」ができればいいんですけどね。タイムを縮めること、苦しさを克服すること、そういう方面についつい気持ちが向かってしまうのでしょうか。
そもそもの「体育科」の目標には「心と体を一体として捉え、(中略)豊かなスポーツライフを実現するための資質能力を…」とあります。
「心と体を一体として捉え」
ここを、どうイメージするか…。
分かりやすい「速い」「高い」ではなくて、「学習内容は何か」そこを押さえた上で、一人ひとりの子どもと向き合いたいなあ、と感じました。
「今日はどうだった?」
「今度はどうしたい?」
「楽しかったことは?」
「困ったことはある?」
そこから、一緒に考えていけたらいい。
「できる」、とは何か、どうなると「できた」と言えるのか、「できる」の他に「分かる」もあるよ…とか。そして、そこに一緒に運動を楽しむ仲間との温かな交流もセットにして。
スポーツの楽しみ方は、実に多様です。一緒に笑顔で楽しむ、そんなスポーツの在り方もすごく大切。もちろん競争しながら他者といい関係をつくる、そんなスポーツの楽しみ方もあります。両方大切。
子どもたちに、体育を通して学んで欲しいことは何か、そして当の子どもは今どう感じているのか、両方を懐に入れながら丁度いいところを探り、探り。
「できる(得意)」「できない(苦手)」が、溶けてなくなる、そんな感じになるといいな、と思っています。