もともとは、実家は東京でした。
といっても、私が住んでいたのは高校生までだったんですけど。
こちらに来てからも、実家は東京にあったので、年に何回かはそこに行っていました。
今ではもう、そこに実家はありません。
今回、久しぶりに東京に行ってみました。コロナ前に行ったきりだったので久しぶりです。
かつて実家があったあたりも、ブラブラと歩いてみました。
そして、実家の前にも。そこにはもう別な表札があって、玄関前には植木鉢があります。よく小学1年生がよく使う、あの青い四角いプラスチックのやつ。支柱つきの。
きっと小学生のお子さんがいらっしゃるのですね。
もう、新しい家主の、新しい生活がそこでは始まっていました。
新しい家主さんにとっては、私の父母のそこでの生活は知るよしもありません、当然ですが。もちろんそれでいいのですが。
(知らないこと、見えないことだらけなんだよな)
(そして、それは当然であり、仕方のないことでもあるよね)
そんなふうに感じます。
自分の関わっていることだって、知らないこと、分かっていないことだらけです。
自分目線でしか世界を知ることはできないし。
いわんや、関わっている他者のことだって、ぜんぜん分かっていないはず。
分からないことをいつでも自覚していたいな、と思う。それでも、分かりたいな、と思うこともセットにして。
まあ、それでも、ついつい分かった、分かっているに気になってしまうんだけど。
元実家の家主さんは、もちろん、私がその玄関先にきてみたことは知らない。当たり前ですが。