■「さよならほやマン」を見て
「不登校になっちゃう子って…自分の意志というのがより強くあって…好きなものは好き、嫌なものはいやっていうのが自分の中にはっきりあって…それをちゃんと行動に起こせる子ってことでもあるんじゃないかな…」
そんな言葉が聞こえてきたある午前のラジオ。正確ではないかも知れませんがだいたいこんな内容だったと記憶しています。
自分の意志があって、ある面、そこに正直に行動する…なるほど。そういう見方もできるなあ、と思ったのでした。
午後からは、見たいな、と思っていたこの映画に。
「がまんする」と「やりたいことをやる」の間でもがく、ってあるよなあ、と思いました。がまんするのがキツくなると考えないことにする、とかも。
でも、でも、ですよね。
映画の冒頭のナレーション。
「卵から生まれ赤ちゃんのころはオタマジャクシのような形で海を泳ぎ、やがて住む岩場を決めると背骨がなくなり、脳がなくなり成体の形になっていく。」
映画の最後には、
(ああ…)
と自分なりに感じる、そんな言葉でした。
ほやの殻を取ることを、「ほやを剥く」ってこちらでは言います。
自分の人生のヒーローとして生きることも、そして一方で、作り上げた「ヒーロー」像を脱ぐことも、どっちも同じことなんじゃないかな…なんてことを思ったりしました。
コメディー映画でも、戦隊ものでもなかった、そんな映画でした。
最後、泳ぐほや?、もがくほや?がいたような…。そんなふうに見えたなー。