■「問いを立て、良好なコミュニケーションを立ち上げ、具体的なアクションを起こす」
問いを立て、良好なコミュニケーションを立ち上げ、具体的なアクションを起こす。
(これがなかなか難しい職場も実際はあるんだなあ…)
先日、ある方のお話を聴きながら、感じたことです。
「あまりにもトップダウンが強すぎて、やりたいと思っていることがやれない…」
「職場がうまく回っていかない感じがしている…」
「疲労感が溜まっている…」
「特定の人の頑張りで、なんとかもっている感じがするが…」
やることが多すぎて追いつかない、様々な課題が多くてその処理に時間を取られる、なんだか分からないけど余裕がない…。
学校現場がタイヘン、なんて話も昨今ききますが。
コミュニケーション不全が起こっているから不安が高まっているのか、不安が高まっているからコミュニケーション不全が起こっているのか。その両方なのか。
どうであれ、歯車がうまく噛み合わず、ギシギシ音を立てながらも、必死でそれぞれのメンバーがそれぞれの役割をこなそうとがんばっているんだなあ、そんな印象を私は受けました。
「あの人が、あんなだから…」
「この人がああだから…」
そういう側面もあるのかも知れません。
とはいえ、それぞれが、ある面必死なのは同じかもしれないな…そんなふうに思います。
ギシギシと音を立てていることに気が付いたら、できる人がにっこり笑って
「ねえ、これ、どんなふうになるといいかな?
「ねえねえ、これ、どうしたい?」
なんて問いを出してみる。
そこから良好なコミュニケーションを立ち上げて、小さなアクションを起こす、それを回す、回し続ける。小さくていいから。できる範囲とできる人からでいいから。そして、
「お?できたね~」
「いぇい!」
って喜び合う、ちょっとしたお祝いをする。
不安が高まりすぎると、ともすると思考停止になり、こなすことに精一杯になってしまう気がします。
降りてくるものはしなくてはならない…
したことにしないといけない…
伝えたことにしないといけない…(伝わったかどうかはわかなくても)
そうなると、コミュニケーション不全が進行し、ギシギシ音が聞こえてきます。
トップダウンがそもそも悪い訳ではなくて、「コミュニケーション不全」が問題。ある面、組織としてまたは個人として「トップダウン」を容認しているところもある「かも」しれませんし。
(そしてトップダウンも、時に、必要な場合もありますし)
ちょっと立ち止まって、にっこり笑って「問い」を投げてみる。そして仲間とできることをしてみる。そこから始めるしかないし、そこを大切にしたいな…と思ったのでした。
「主体的・対話的で深い学び」なんて言うのは、そんな小さなことから始まるんじゃないのかな。
「職員室で起こることは、教室でも起こる」
「教室で起こることは、職員室でも起こる」
うーん、まさに(^_^)。