昨日は、今学期最後の学習参観でした。
子どもたちと保護者の方々で、一緒に「つくる」活動。インストラクションは最初の2分くらいにして、あとは教室の中でそれぞれ自由に作業したり、動いたり、話したり。
せっかくの機会だから、子どもたちも含めたみんなで、自己選択自己決定のもと、お互いに楽しくコミュニケーションが図れる場になるといいな、と思うから。
その後は、PTAの全体会。
保護者の方々と教員集団、くじ引きでグループ(4,5人)を決めて、
「今学期の子どもたち、どうでした?(^_^)」
ってテーマで、おしゃべりする時間です。
同じ学年同士の保護者や教員とは何かと話す機会はあれど、そうではないと機会が案外限られるますからね。
教員としても、学校のいろいろな保護者の方々と、おしゃべりする機会はあればあっただけいいですし。
縦横ななめ…学校に関わる様々な大人が、網の目のように
「話そうと思えばいつでも話せる」感じになるのが理想。
ここに子どもたちも混ざるともっといいんだけどな、とは思いますけど。
そんな話をした後には、
○よかったこと、うれしかったこと
○困った事や今後の課題
を話し合って、
○3学期はどうしたい?どうなるといい?
を、軽く意見交換する、そんな感じです。
この日には、別に、教育委員会からコミュニティスクールについての説明がありました。目的とか、組織とか、役割とか、まあ、そういうことも一方で大切なことは分かりますけれど。
でも、こういう、人と人とのつながりって、「目的」があるからできる、ものでもない気が私はしています。
なんか、話したり、わちゃわちゃみんなでやったりしながら、
「なんか楽しいね~」
「今度、どうする~?」
「何すると面白いかな~?」
「あれは、うまくいかなかったら今度はさー」
みたいなのが積み重なって、それが、いつの間にか、『結果的に』、目的に掲げられるような状態になっていくんじゃないのかな?って感覚。
「あそび」と同じ感じ。
「○○のためにあそぶ」なんて、ありません。
「なんでそれしてんの?」
ってきかれたら
「え?・・・おもしろいから?」
ってこと。
「何かやってる感」はそこには必要なくて。(そうなると、苦しいし、つまらなくなる…。それを多分「負担」というんじゃなかろうか)
ルールや組織を作りすぎて、きゅうきゅうになり、それで「おもしろそうなこと」が始められない、そんなことにならないように、まずは、しゃべろうか、一緒にやってみようか、ってことだと。
思いつきから、まずは小さな「やりたい」を保護者の方や子どもたちとはじめてみる。まずはやってみようか?という小さなことでいいんじゃないのかな。
コミュニティスクールてそういうイメージ。
大きな「目的」は
「あれ?そういえば、いつの間にか、そこそこ、そんな感じになってるのかな?分かんないけど。」
くらいでちょうどいいかな、と私は思っています。