■その気になるのを、ただ、待つ。
体育、鉄棒。
あ、そういえば最近「体育がきらい」という本を読んだけれど。笑
うちの学校は、極小規模校なので、常に全校で体育をしているので、担任であろうがなかろうが、とにかく教員もみんなでサポートに入ります。
「やだな、鉄棒…」
って言ってる子がいて。
「へえ、そうなんだー。いやなんだー」
なんて聴きながら。
「だってさー、ぐるんと回るのなんて怖いじゃん。」
「そっかー、そうかもー」
なんて聴きながら、いて。
「でもさー、あそこまでは、まあ、できそうなんだよ。でもさ、そこから先がさー…」
なんて言っていて。
だから、
「ふーん、そっかー。で、やってみる?」
ってたずねてみたら、
「えーーーー、やだーーー、怖いしーーー」
って言ってる。
(あーー?でも、この表情と声ならいけそうだなあ?)
って直感があったので、
「え?いけるってばさ。じゃあ、そこのところ、ちょっと持っててあげるから。」
って言ってみたら、
「ええええーー」
っていいながらも、案外やってみる気になったみたい。
もともと、やる気はあったんだよね。
ほんのちょっとだけ支えたら、なんだ、できたね。
その後は、何度もやってみていた。うれしかったね、いいぞいいぞ。
体育が終わって、昇降口の下駄箱のところで、その子がある子と話していて、
「○○ができたんだー!」
「へえー、いいなあ、すごいじゃーん。いいなー」
「もっちゃんとやったら、できるよー」
なんて言っていて。
あははは、いやいや、そうじゃなくて。
たまたま、君がやる気になった時にそこにいただけなんだよね、ってこと。
できるようにさせる、なんてことじゃなくて、「できるようになりたいな」って気持ちが高まった時に、ちょっとお手伝いしてみるだけでいいんじゃないかな。
その気になるのを待つ、そんなイメージ。
できるようなったほうが、絶対いいはずだ、だからこの時間(この期間)のうちにできるようにさせる…そんな構えで言ってしまうとあんまりいいことない気がします。
できてもできなくても、本当はどうでもいいはず。だから、できるようになりたいな、って気持ちが高まるまで、待てばいいだけ、そんなふうに思っています。
ただ待つのも、楽しいものです。
だって「鉄棒が」できることが大切なわけではないと思うから。