■時計回りは反時計回りでもあった
先日、市の復興企画部主催の「性的マイノリティ研修会」に出張で参加しました。
トランスジェンダーの方が自分自身の体験を話しながら、多様性だったり共に生きることについて伝える、そんな学びの時間でした。
性的マイノリティに関することに限らず、そもそも「一人ひとりは違う」ってことを前提におけるかどうかってことなんだな、と感じます。
どうしても、自分のこれまでの経験から物事を見てしまったり価値付けてしまったり。いくら気を付けていても、それはやはり避けられない面もあります。だからこそ、そういう危険性があるってことを自覚していることが必要だな、と思います。
「もちろん、私が“こたえ”ではありません。」
「なので、最後はご自身で考えて判断してください。」
というようなこともお話されました。
こたえはない、確かにそうだな、だから「知る」「知ろうとする」ところから始めないと、自分で考えることもできませんもんね。様々な情報が、すぐに手に入る世の中に
なっても、それをもとに「考える」かどうかは、やはりその人次第。
講演の冒頭に行った、小さなアクティビティ。
「人差し指で、自分の頭上に時計回りにぐるぐると回してみてください。」
「その指を回したまま、ゆっくり降ろしてきて、目の高さより下にしてみてください。」
「まだ、時計回りですか?違いますよね?今度は反時計回りになっていると思います。」
「それくらい、見る位置、見る人によって、同じものでも見え方って変わってくるもんです。」
なるほど、たしかに、でした。
人によって、同じもの、ことでも、まったく見え方(感じ方も)異なります。だからこそ、対話のきっかけをつくる、対話できる関係性をつくる、対話する…そんなことがやっぱりシンプルに大切だな…と感じました。