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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

「当事者はそこにいるか」問題

 先日、ある方とおしゃべりしていた。
 その方は、以前、ウミガメの保護する事業?に関わっていたことがあったとのこと。

 「ウミガメが産卵に来るのね、砂浜に。その卵がちゃんと孵化するように、それにウミガメ自体の保護も考えるわけ。それで、親ウミガメも捕獲してタグを付ける、そんな作業もあったんだけど。」
「でも、それってウミガメにとっては、すごいストレスを与えているわけだよね。人に捕まって。『ウミガメのため』といえばそうなのかもしれないけど…」

「なんか、違うかなあ…って気がして離れることにしたんだよね。」

 たしか、そんな話だった。


 そこから、一緒に話したのは
「そこに、ウミガメも一緒になって放して、『じゃあこうしていこうか!』って話ができるんならいいけどね。」
「うん、そのウミガメだって、なんでこんなことされるのか、さっぱり分からないもんね。」
「人間に襲われている、その恐怖しか味わっていないだろうね。」
「それを、人間は『ウミガメのためだ』って思う訳で。」
「そもそも、ウミガメが生きづらくなっている環境は人間が原因だったりもするしね。」
「うん…」

 当事者がそこに不在ってこと、けっこうあるよね、って話をその後に。
 当事者抜きで(そんなつもりはなくても)、「専門家」が集まって、当事者のためにすること、していることって結構あったりして、と思ったのでありました。

 そこに当事者がいるか、はすごく大事なことなんだけど、意外と気付かずに(よかれと思って)省かれてしまい、システムだけが動き出している、なんてこともあるかもしれないな。あるな、きっと。


 ウミガメの保護活動がどうの、とかそういうことではなく。

 

 

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