何ごとも急には変わらないし、変えることもできない。
今、田おこしや、田植え、そんな作業をしている方々の脇を通勤している。
それぞれの作業にはもちろん前の段階があり準備があるわけで。それぞれの作業「だけ」を見ていても、その前の作業は見えない。この「見えないもの」が見えるようになるってことが実はとっても重要だったりする。
1つ1つのことって、見えるもののかげに膨大な「見えないもの」があって、そのいろんな積み重ねで、その「今」があるってことだな。
そして、米はすぐには収穫できないわけで。1年かけて、それこそ「八十八」の手間欠けて。
私は、それをお金を出して買っているから、そういう1つ1つの作業(それは一人一人の人の顔)を忘れてしまい、下手すると「高い」「安い」とか単一の規準で判断しがち。
あぶないあぶない。
何かが変わるってこと、何かを収穫するってことは、小さなたくさんの種が蒔かれ、誰かが水をやり、誰かが草を取り、何かが肥やしになり、そして誰かが刈り取る、そして次の準備をする…そんな順繰り順繰りの中にあるんだな。
見えないものが少しでも見えるようになりたい。
だから、本を読み、人とぐちゃぐちゃと話す。試してみる、失敗してみる…。そんなんでいいんじゃないか。
今読んでいるのは「生きるぼくら」(原田マハ)。
それもあって、そして、昨今のおしゃべり、また状況からふと思ったこと。